あの日、別の場所で


「決裂。最後まで戦うってさ」


 まーりゃん先輩の声に、周囲の先生たちからどよめきの声が上がる。
 タカ坊とささら、ふたりを止めようと意気を上げる大人たちを見ながら、私たちもまた小さく目配せをする。ふたりが明日ちゃんと逃げられるよう、今夜の内に用意を済ませておかなくてはいけない。
 踏み込むのは明日だと三々五々散っていく先生たちを尻目に、屋上や中庭、気付かれないように準備にとりかかる。
 ICレコーダーが再生したタカ坊の声には全く迷いがなくて、ささらのために体を張ることにこれっぽっちの疑いも持っていないみたい。男の子っていうのは、どうしてこういつの間に大人になってしまうのかしら。正直、ちょっとだけささらことが妬けてしまう。
 まったく、このタマお姉ちゃんにここまで世話を焼かせるんだから、あとでどうやって返してもらおうかしら。
 雄二たちが体育用具室からネットを持ってきた。その時がくるまでどこかに隠しておかなきゃいけないのだけど。


「先輩?」


 さっきまで指示を出していたはずのまーりゃん先輩の姿が見えない。周囲を見回してみると、いた。建物の隅に隠れて、何かゴソゴソと作業をしている。


「先輩、何をなさっているんですか?」


「しーっ、静かに! 今いーところなんだから」


 両耳にはイヤホンをあてて、手にはアンテナを持って熱心に何かに聞き入っている。


「たまちゃん、片方聞いてみる?」


 そう言って方耳のイヤホンを渡してくる先輩の顔には、例えようもないくらいの人の悪い笑顔が・・・・・・正直なところ、嫌な予感しかしないわね。
 それでも折角先輩が勧めてくれるものを無碍にする訳にもいかず、今も「ホレホレ」なんて差し出してくるし。


「お、おおおおおお!? いきなりそう出るか」


 ずいぶんと盛り上がっているようですけど、一体何が聞こえて──


『さ、ささらのおっぱいも食べて──』


「なっ!?」


 イヤホンの中から漏れてくる声は、タカ坊とささらの・・・・・・し、しかもこれって・・・・・・


「いやぁ、たかりゃんもなかなかやりますなぁ。いつもは虫も殺さないって顔してるのに、猫かぶってやがったなあんにゃろー」


『あ、ああ、もっとぎゅっとぉ』


「せ、先輩、これってまさか」


「うん、たかりゃんとさーりゃんの初エッチ生ライブー☆ こんなこともあろうかと仕掛けて置いた盗聴器が役に立ってよかったよ」


 盗聴器って!


『そこ?
 あ──
 ここをどうしてほしいの?』


 まさかまーりゃん先輩に聞かれているとは思っていないふたりは、どんどん自分たちだけの世界に突入していってしまっている。


『はう、はうぅ──貴明さん、ダメなのぉ』


 ・・・・・・タカ坊ったら、いつの間にかこんなに大人になって。


「なー、姉貴、このネットどこおいておけばいいんだ?」


『ささらの匂いがいっぱい──
 そんなぁ──』


 な、タカ坊、何やってるのよ、そ、そんな破廉恥な・・・・・・


「あねきー?」


『腰を上げて──』


 だめ、だめよそんなことお姉ちゃんは許さないわよ!?


まーりゃん先輩、姉貴のやつ何やってる・・・・・・な、なにぃ、貴明と久寿川先輩
が!?」


『ひゃうん! 貴明さんの指がぁ』


「あ、姉貴かわって、代わってくれ、次俺、次俺のばんゴブハっぁ」


 雄二うるさい、聞こえないでしょ。


『・・・・・・チュってして欲しいのぉ』


 あー、もう。肝心のところを聞きそこなったじゃない。


「え、録音してるんすか? くぅーっ、感動しました。俺、一生まーりゃん先輩についていくっす」


「ぬふふふふふ、もっと褒めてくれてもかまわんぞ。でもなぁ、こっちも慈善事業でやってるわけじゃぁねぇし、誠意を見せてもらおうじゃねぇか、誠意を」


「押忍。で、幾つほど山吹色のお菓子をご用意しましょうか、お代官様」


「向坂屋、お主も悪よのう」


「いえいえお代官様ほどでアガガガガガガ、われ、割れるっ、わ゛れ゛っ゛っ!?」


 動かなくなった弟を地面に投げ捨てる。
 まったく調子にのって。帰ったらキッチリ、わからせてあげなくちゃいけないわね。


まーりゃん先輩?」


「いや、あはははは、ジョーク、いっつジョークだってばたまちゃん。後輩のことを思いやる先輩の、可愛らしい冗談だって」


 まーりゃん先輩も。電卓なんて取り出して、一体何を考えているのかしら。


「で、お幾らになるんですか」


「・・・・・・え?」


「こんなに大切な物、雄二なんかに売ろうとするなんて先輩は何を考えているんですか。こういう物は、私のように持つのに相応しい人間が買い取るべきなんです。それで、お幾らになるんでしょうか?」


「あー・・・・・・まいどありー☆」





 陸とをつなぐロープが外されて、ゆっくり船は桟橋から離れていく。
 ここまでくれば、とりあえずは一安心だろう。いくらなんでも海の上まで追いかけてはこないだろうし。


「貴明さん」


 俺のすぐ横に立つささらの表情にも、安堵の笑顔が浮かぶ。
 まーりゃん先輩やタマ姉、たくさんの人のおかげで、俺たちはここまで逃げてくることができた。俺たちふたりだけだったら、間違いなく学校で捕まってしまっていただろう。
 特にまーりゃん先輩には、いくら感謝してもしきれないくらい世話になっている。この船のチケットだって、あの時渡されたリュックサックの中に入っていたものだ。チケットの他にも、着替えや、少なくない額の現金。


「いつか、ちゃんとお礼しなくちゃ」


「うん、そうだね。でもまーりゃん先輩のことだから、利子は10倍にして返せとか言ってきそうだよ」


「それもそうね」


 ふたりで笑い声をあげながら、徐々に遠くなっていく陸地を眺め続ける。


「あら? 貴明さん、リュックサックの中、手紙が。これ、先輩の字」


「え?」


 そういってさららが見せてくれたのは、一通の手紙。俺は先輩の字なんて知らないけど、ささらが言うんだからこれはまーりゃん先輩が、俺たちに宛ててくれた手紙なんだろう。
 封を開けて、声を出して読み上げる。


「えっと、Deaaさーりゃん、たかりゃん」


 うん、間違いなく先輩の手紙だ。さっそくスペルが間違ってる。
 誤字や脱字ばかりの手紙だったけど、その内容は俺たちのことを励まして、そして元気付けてくれる物だった。ところどころ字が滲んでいるのは、もしかすると。


「あ、封筒の中に、もう一枚入ってるよ」


 手紙は一枚だけかと思ったら、もう一枚、封筒の中に入っていた。


「追伸。今回キミたちを逃がすのに使った費用については、全く気にすることは無いから」


 わざわざこう言うことをかくあたりが、まーりゃん先輩らしい。
 ささらと顔を見合わせて笑いあう。


「えっと、なに、むしろ、キミたちの頑張りのおかげで大変儲けることができて、こちらがお礼を言いたいくらいだ。これからもミイラにならない程度に、励んでくれたまえ。サービスで、ダビングした物を一つだけ付けておくから、寂しいときなんかに使うといい。後輩想いのまーりゃん先輩より・・・・・・」


 とたんに、嫌な予感が津波のように全身に覆いかぶさってくる。


「た、貴明さん」


 それはささらも同じみたいで、リュックサックの中から小型のラジカセを取り出したささらの指は、まるで爆弾でも掴んでいるように震えている。
 多分、これを聞くと絶対に後悔する。間違いなく後悔する。
 でもこの予感を放置しておくことが、俺たちに可能だろうか。聞かずにいて不安に押しつぶされるよりも、聞いて、後悔したほうがまだ傷は小さくてすむんじゃないだろうか。
 ささらと視線を合わせて頷きあう。
 ふたりで一緒に、震える指で再生のボタンを押す。


『うん、うん、私、貴明さんのためにかわいくなるから、だから──
 うん、わかってる。たくさん愛してあげるよ』


「うわーっ! うわっ、うわっ!?」


 なにこれ!? ま、まさかこれ、あと時の夜の。なんでそんなものが!?


「あ、さ、ささら!?」


 今まで横に立っていたささらが、フーっと意識を失って倒れそうになっている。


「ささらーっ!」


 慌ててささらを抱きかかえる。
 引き返してまーりゃん先輩を問いただそうにも、陸ははるか向こう、地平線に隠れようとしている。
 俺とささらのふたりだけの逃避行。けれど南の島に続く空には、でっかなまーりゃん先輩の笑顔が浮かんでいるようだった。



   終