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カラーンカラーンと、はっぴを着た男性がまるで親の仇のように鐘を振る。
後ろに並ぶ列と商店街を行く野次馬からどよめきの声が上がる。
皿の上には、金色に光る玉が一つ。
「おおあたりー! 特賞、温泉一泊二日ペア旅行ご招待!!」
「あら、え、その・・・・・・」
それと、福引のレバーを持ったまま、戸惑うメイドロボが一人。
「た、貴明さん、どうしましょう、わ・・・・・・私」
「え、そ、そんなどうしましょうって言われても・・・・・・ええっと、とりあえずおめでとう、イルファさん」
「というわけで、こういったものをいただいてしまったのですが・・・・・・」
と言って戸惑うイルファさんの手に握られているのは、“特賞”の熨斗に包まれた温泉旅行の招待券。よくCMでも見かける、日帰りで温泉に入れることが売りのホテルの物だ。
商店街でやっていた福引の景品だったんだけど、いや、まさかイルファさんが当てるだなんて。
「いっちゃんすごいなー、温泉旅行や〜☆」
「はあ。ですが、本当に私がいただいてもよろしかったのでしょうか・・・・・・福引の係りの方も、悩んでおいででしたし」
「イルファが引いた福引や、遠慮なんてすることない。もらっとき」
思ってもいなかった幸運に、イルファさんも少しとまどい気味だ。一緒に付いて行った福引会場でも、混乱したイルファさんを落ち着かせるのにひと苦労だったし。
よほどビックリしたんだろうなぁ。福引のハンドルを握ったまま目を白黒させるイルファさんもなかなか新鮮で可愛らしかったと思う。
「ですが、メイドロボの私が旅行と申しましても。あ、よろしければ瑠璃様が行かれてはいかがでしょう。ちょうど今度の連休で、学校もお休みですし」
「なに言っとんの。なんでうちがイルファの当てた旅行に行かんとあかんの。イルファが貰った物なんやから、たまにはゆっくりしてき」
瑠璃ちゃんは断るんだけど、イルファさんもどうしてもと言って譲ろうとしない。やっぱり、“メイドロボが”と言うところが気になるようだけど。
でも、そんなこと気にせず行ってくればいいのに。
折角イルファさんが当てた温泉旅行なんだから、メイドロボだからとか変な遠慮せずに思いっきり羽を伸ばしてくればいいと思う。特にイルファさん、いつも俺たちにあれこれとお世話してくれて、ゆっくりする機会なんてあんまりないんだから。
「ねぇ、それじゃあイルファさんと瑠璃ちゃん、ふたりで行ってくればいいんじゃないの?」
「イルファと?」
「ふたりっきりで!? い、いえ、ですがやはりそれでは」
それでもやっぱり遠慮するんだけど、『瑠璃ちゃんと』というところにかなり心動かされたことは間違いないみたいだ。
「それに、私と瑠璃様両方が家をあけたのでは、おふたりのお世話をする者がいなくなってしまいます」
「そんな一泊くらいだったら俺と珊瑚ちゃんだけでも何とかなるよ。だから気にせず行っておいでよ」
もうちょっとっていう気はするんだけどイルファさん、なかなか首を縦に振ってくれない。
「なーなー、だったら、4人みんなで行かん?」
「え、できるの?」
笑顔でうなずく珊瑚ちゃん。
「んーとな、ここのホテルやったら来栖川のグループやし、研究所のおっちゃんたちがよく行っとるところだからできると思う。だから、あとふたり分追加してみんなで温泉旅行や〜」
珊瑚ちゃんらしいその提案に、俺は笑顔でイルファさんと顔を見合わせる。
「これで行けるね。あ、イルファさんがいかないだなんて言ったら、誰が俺たちの面倒を見てくれるんだろう?」
イルファさんは困ったような笑顔をうかべて、ようやくうなずいてくれた。これでようやく、めでたしめでたしだ。イルファさんもこういうとき強情だよな。
あとは俺だけど、まあ、一泊くらいだったら、なんとか・・・・・・珊瑚ちゃんの家でお世話になるようになって、生活もかなり楽になったし。
「あかん」
けれど、今度は瑠璃ちゃんがうつむいてしまった。
「う、うち、その日補習やから、いかれへん」
あたりに漂う、なんとなく気まずい雰囲気。
補習・・・・・・かぁ。
「あ、で、でも、三人とも、うちのこと気にせんで遊んできたらええよ。うちもイルファには、ゆっくりしてきて欲しいし」
「あかんよー、瑠璃ちゃん。そんなん瑠璃ちゃんだけおいてきぼりにしても、うちら楽しないもん」
これで、話は振り出しにもどってしまった。
四人一緒に温泉旅行、いいアイデアだと思ったんだけどな。
「その招待券、日にちをずらしてもらうことはできないの?」
「はい。今度の連休のみの招待になるそうです・・・・・・」
商店街の福引じゃ、そこまでのサービスはしてくれないようだ。
「んー、じゃあ、そや。いっちゃん、貴明と一緒に行ったらええよ」
え、俺!?
「貴明さんと、ですか?」
「そや。いっちゃんも、貴明とだったら一緒に行くやろ?」
ちょ、ちょっとまって珊瑚ちゃん。そんな、みんなで行くならともかく、俺とイルファさん、ふたりでだなんて。
「いっちゃん、貴明とじゃいや?」
「い、いえ、そんなことはありません。ありませんが・・・・・」
慌てる俺と、困った顔のイルファさんの目が合った。
ああ、イルファさん、俺が迷惑に思うんじゃないかって心配してるんだ。
間違ったってそんなことないのに。俺は、ただイルファさんにお礼がしたいだけなんだか
ら。
「じゃあ、さ、悪いけど珊瑚ちゃん。招待券の半分、俺が貰っちゃっていいかな」
「貴明さん!?」
「瑠璃ちゃんも、いいかい? 俺がイルファさんと一緒に行っちゃっても」
「まあ、しゃあないわ。今回だけやで」
瑠璃ちゃんも、仕方がないって顔で許してくれた。今度ふたりには何かお返ししないとな。
「じゃ、イルファさん。一緒に行くのが俺でいいかな。瑠璃ちゃんとじゃなくて申し訳ないんだけど」
「私は・・・・・・はい。貴明さんさえよろしければ是非」
イルファさんは笑顔で応えてくれた。
う、うん。いざ行くつもりになると、やっぱり緊張が。いつも一緒にいるからって、二人だけでどこかに、しかも泊りがけで出かけるんだから。
「えっと、それじゃあイルファさん、よろしくお願いします」
「はい、どうぞ連れて行ってくださいましね」
「それでは河野様、お部屋は12階、1203号室になります。どうぞごゆっくりおくつろぎくださいませ」
緊張しながらフロントで部屋の鍵を受け取る。いくら事前に予約してあるからといって、学生の身分でこんな大きなホテルにとまるのはどうしても緊張する。
「じゃイルファさん、行こうか。12階だってさ」
「はい」
いや、緊張してるのはそれだけじゃない。
今だって荷物を持って、一緒に横を歩くイルファさん。普段とはちがった、今回の旅行のために用意したって言う、よそ行きの服装をしたイルファさんと一緒にいるということは。今日が、普段とは違う特別な日なんだって、あらためて俺に教えてくれる。最初、珊瑚ちゃんと瑠璃ちゃんに見送られて電車に乗るときは、お互い恥ずかしいようなくすぐったいような雰囲気のせいでまともに目を合わせることもできなかったくらいだ。
それでも途中イルファさんが、ゆっくりとだけど、俺の手を握ってくれたおかげで、送迎のバスを降りるころには互いに腕を組んで歩けるくらい、その甘酸っぱいような空気を楽しむことができるようになっていたんだけど。
ただ、やっぱり、周りの目と言う物は気になるわけで。
連休と言うこともあってか、ホテルのロビーは浴衣を着た宿泊客や、温泉に入りに来た家族連れで賑わっている。
そんな中で腕を組んで歩く、どう見ても社会人には見えない男とメイドロボの組み合わせというのはとにかく人目につくみたいだ。イルファさんは、もう完全に旅行の堪能モードに入っちゃっていて気にならないようだけど。俺としては早いところ部屋に行って、この落ち着かない状況から抜け出したい。
そりゃ、今回の旅行はイルファさんの慰安旅行なんだからイルファさんさえ喜んでくれているのならそれで良いんだけど、だからといって俺が少しくらいくつろいだってバチはあたらないと思う。
「結構広いお部屋なんですね」
俺たちが入った部屋は、ホテルの雰囲気によく合った和風作りの部屋だった。二人部屋のわりには結構広い。
とりあえず荷物をおいて、さて、どうしようか。ホテルの外に出かけるには、そろそろ日も傾いてきたし、イルファさんでも誘って、ホテルの中を探検でも
「はい、どうぞ」
目の前のテーブルにお茶が差し出される。
「いいのに、そんなことしなくても。せっかくイルファさん、ゆっくりしに来たんだから」
「ですが、何もしていないというのも落ち着かなくて」
笑顔を向けるイルファさん。
いつもと同じ表情にも見えるんだけど、やっぱり旅行にきた事が楽しいのか、少しだけテンションが高くなってるみたいだ。なんだかソワソワと落ち着かずに部屋を眺め回したり、かと思うと俺のことをじっと見ていたりする。
「あ、あの貴明さ──
部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「あ、はーい」
入り口まで行ってみると、仲居さんが夕食やなんかの説明に来てくれたみたいだ。
食事の時間や、あと大浴場の場所を説明してくれて、それとついでに、イルファさんの分は夕御飯も朝食も用意しなくてもいいと伝えておく。
イルファさんがメイドロボだとわかると少しだけ驚いた顔をしたみたいだったけど、すぐに了解してくれて戻っていった。やっぱり、普通の人はイルファさんが人間じゃないって聞くとびっくりするよな。
忘れないうちに、備え付けのパンフレットでお風呂や食堂の場所を確認しておく。
いや、イルファさんが聞いていてくれてるんだから万が一にも忘れる心配なんてないんだろうけど。そこまでイルファさんに頼っていたんじゃ何のための旅行なんだかわからなくなってしまう訳で。
「へー、家族風呂なんてのもあるんだ・・・・・・あ、そういえばイルファさん。さっき、何か言いかけてたみたいだったけど」
すると、イルファさん。何かを一生懸命に考えているみたいで、俺が話しかけていることにも気が付いてないみたいだ。
「え、あ、いえ、そんなたいしたことではないんです。お気になさらないでください」
と言われても、そう慌てられたんじゃかえって気になるよ。
「本当に、たいしたことではありませんから。あ、そ、そうだ私お風呂に行ってきますね」
まるで逃げるように部屋の外に出て行ってしまう。
あとに取り残された俺はもう何がなんだか。やっぱりイルファさん、俺と二人だけで緊張してたのかな。でも、そう言う風な感じはしなかったけどなぁ。
そういえば、俺も思ったよりは緊張をしてない気がする。
そりゃ、バスの中やホテルのロビーで、他の人に見られてた時は心臓が破裂しそうなくらいだったし、普段とは違う格好をしたイルファさんを見ればドキドキもするんだけど。っていうかイルファさん、あれは絶対わざと、腕を組んで、慌てる俺で遊んでたんだ。
でもまあ、部屋の中で二人っきりでいるからって、イルファさんのことを変に意識しないで済んでるのはありがたい。
「前の俺だったら、女の子と二人っきりの旅行なんて必死になって逃げ出してただろうな」
イルファさんや、珊瑚ちゃん瑠璃ちゃんと出会えたことが俺を変えてくれたんだと思う。
まあ、イルファさんや珊瑚ちゃんたち以外の、クラスの女の子なんかは今でも苦手だけど。
・・・・・・俺もどこか行ってこようか。
イルファさんとは行けなかったけど、ホテルの探検でもするか、それとも
「俺も温泉に入ってこようかな」
そう思ったなら善は急げだ。部屋の備え付けの浴衣を手に持って大浴場に向かう。
仲居さんに教えてもらったとおりエレベーターを下りていってみると、男湯の暖簾のかかった入り口が見えてきた。
「すげっ・・・・・・」
大浴場は、テレビで宣伝するだけのことはある。うちの風呂どころか、珊瑚ちゃんの家のお風呂と比べても比べようのないくらい、大きくて豪勢なところだった。
まあ、ホテルのと家のお風呂を比べること自体間違いだろうけど。
これだけ広いと、かえって落ち着かないような。何も武器も持たないで、ライオンのいる檻の中に放り込まれた気分と言うか、丸裸でサバンナに置いて行かれた感じというか。確かに裸ではあるけれど、とにかく心細くなって仕方がない。
「早く入るか」
それにいつまでも突っ立っていたんじゃ風邪を引いてしまう。
ちょっとしたプールくらいあるお風呂に、泡風呂、ハーブ湯なんてのもあるのか。あ、露天風呂・・・・・・いや、別に混浴じゃなかったからってガッカリなんてして無いからな、うん。
いくつも種類のある温泉を眺めながら、とりあえず一つずつ試していくことにしてみようとまずはハーブ湯から入ってみる。
結論から言うと、全部のお風呂を制覇しようと言う俺の考えは無謀な試みだった。
大体一時間後、脱衣所に出てきた時にはのぼせて真っ直ぐ歩くことも難しくなってしまっていた。
「うー」だの、「あー」だのうめき声を上げながら給水気にかじりつく俺。ま、周りの視線が痛いがここで恥ずかしがっていちゃ命に関わる。
おなかを壊しそうなくらいに水をがぶ飲みして、イスに座って扇風機の風を浴びていると・・・・・・ようやく、頭もすっきりしてきてくれた。もう二度と、お風呂の制覇なんて考えるもんか。
そういえばそろそろ夕御飯の時間になるな、なんて考えながら、まだ少しふらつく足取りで部屋に戻る。
イルファさんがまだ戻ってきていないみたいだ。
俺より早く部屋を出て行ったのに、まだ戻ってきてなかったんだ。いくらイルファさんでも、そんな何時間もお風呂に入ってるとは思えないし、どこか散歩にでも行ったのか。
噂をすればじゃないけど、俺がそんなのことを考えているとちょうど部屋の扉がノックされた。多分イルファさんが戻ってきたんだと思う。
「お帰り、イルファさん。ずいぶんと長風呂だ──
扉を開けて、そこに立っていたイルファさんに俺は、次のセリフを言うことができなくなってしまってた。
「申し訳ありません、少し長めにお風呂に入ってしまっていて・・・・・・貴明さん、どうかなさいましたか?」
「え、あ、いやなんでもないよ。お風呂、どうだった」
「はい、あんなに大きくて広いお風呂に入るの、私初めてで。いろいろなお風呂もありましたしとても気持ちが良かったです」
「あ、うん。良かったね」
そんなイルファさんの笑顔にも、上の空でしかうなずく事ができない。
だって、そうだろ?
目の前には、浴衣を着て、頭にはタオルを巻いて、ちょっとだけのぼせたみたいに肌を赤らめてるイルファさんが、立っているんだから。
普段、珊瑚ちゃんの家で一緒にお風呂に入った時とは違う。なんというか、すごく色っぽいイルファさん。
「そろそろお食事のお時間ですよね。申し訳ありません、私のことをお待ちくださっていたみたいで」
「いや、俺も今お風呂から戻ってきたところだったから。それじゃあ行こうか、イルファさん」
「はい」
そう言うと、イルファさんはまた俺の腕に抱きついてきた。
とたんに伝わってくるイルファさんの体温と、石鹸の香り。さっきとは違って、浴衣なんて薄着なものだからって、ちょ、ちょっとイルファさん、あたってる、あたってるってば。
温泉でのぼせた上にこのイルファさんの積極的過ぎるスキンシップで、俺の頭は今にもオーバーヒートしそうだ。そんな状態だったから、周囲からの注目を気にする余裕なんてなかったし、せっかく用意してもらった豪華な料理も何を食べたんだかさっぱり味を覚えていない。それどころかイルファさん、俺の横に座ってお酌、といってもお茶やジュースだけど、を始めだして。
気が付いたら、いつの間にか部屋でイルファさんのいれてくれたお茶を飲んでいた。誰だよ、俺が女の子に慣れてきただなんて言ったの。
「どうか、なさいましたか?」
「え、あ、べ、別に何でも」
い、いけない。うっかりイルファさんのこと眺めてたみたいだって、あれ?
「イルファさん、こんな時間に充電?」
荷物の中から充電用のアダプタとノートパソコンを準備している。
珍しい。いつもなら俺たちが学校に行っているうちか、休みの日でも午前中のうちに充電はしちゃって、こんな時間にすることなんて滅多にないのに。
今日だって、家を出る前にやってたのにな。やっぱり、どこかに出かけると電池の消費量があがったりするんだろうか。
「あ、はい。確かにそう言う部分もあるので、長時間の活動が見込まれる場合バッテリパックを容量の大きな物に交換したりするのですが・・・・・・」
と、なぜかイルファさん、そこで突然歯切れが悪くなって。なんとなく、顔も赤いような。うつむいちゃってよくわからないんだけど。
「明日の朝充電する時間が取れるとも限りませんし。それに瑠璃様も珊瑚様もいらっしゃいませんので、その、おふたりの分まで・・・・・・私が貴明さんのお相手をさせていただけたら、と」
・・・・・・あーあーあーあー、なるほどなるほど。
「あの、やはりご迷惑、ですよね。貴明さんもお疲れなのに、私ったら自分のことばかり考えてしまって」
まったく、イルファさんも遠慮し過ぎだよ。この旅行はイルファさんのためにあるんだから、イルファさんのしたいようにしてくれていいのになぁ、本当に困ったイルファさんだよ・・・・・・
「お、俺もう一回お風呂行ってくる! ごめん、イルファさん、ちょっと待ってて」
「は、はい、行ってらっしゃいませ」
今度は俺が、逃げるように部屋からとび出すはめになった。廊下にまで俺の心臓の音が聞こえないか心配になるくらい胸がドキドキなっている。
そりゃ、期待していなかったと言えば嘘になるけど。でもあんな部屋で二人っきりのシチュエーションで面と向かって言われちゃうと、こちらだって心の準備というものが。
べ、別にイルファさんと一緒にすることなんて初めてのことじゃないんだ。こんなに緊張してたんじゃ、イルファさんをがっかりさせてしまいかねない。落ち着け、いつも通り、いつも通りに・・・・・・
うううっ、思い出したら、よけい興奮して。
一人で顔を赤くしたり頭を抱えたり、たぶん別の人とすれ違っていたら間違いなく危ない人だと思われていたに違いない。大浴場まで誰とも会わずに来れたのはラッキーだった。
時間がもう遅いからなのか、大浴場に入っている人はさっきよりもずっと少なかった。
とりあえず興奮した頭を何とかしようと外の露天風呂に向かう。
表との扉を開けると、夜の空気がちょっとだけ俺の頭を冷やしてくれた。露天風呂には他の人影は誰もなくて、おかげでゆっくりと入ることができそうだ。
夜空にぱらぱらと浮かぶ星を眺めて、新鮮な空気を吸っているうちに、ようやく頭のほてりも治まってきてくれたのかもしれない。
大きく溜息ともうめき声とも取れるような声をあげて、俺はやっと、湯船に体の力を抜くことができた。
「あの、貴明さん、いらっしゃいますか?」
どれくらいそうやって温泉につかっていただろう。俺が背にしている塀の向こう側から、俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「イルファさん?」
「はい」
嬉しそうなイルファさんの返事が返ってくる。どうやら塀の向こう側は、女性用の露天風呂になってるみたいだ。
「イルファさん、もう充電は終わったの? それより、よく俺がいることがわかったね」
「はい、呼吸パターンなどが、貴明さんのものと一致しましたので」
向こう側から聞こえてくる、イルファさんの声と水音。
向こうにイルファさんがいるってだけで、また変な想像をしそうになるのを慌てて打ち消す。誰かこのこらえ性のない俺の頭をどうにかしてくれ。
「あの、ありがとうございます貴明さん。いろいろと私のわがままを聞いてくださって。本当ならメイドロボの私が、このような場所に来られるだけでも感謝しなくてはいけないのに、その・・・・・・」
やっぱり恥ずかしいのか、塀の向こう側でイルファさんの照れている様子が手に取るように伝わってくる。
「別に気にすることないよ。元はといえばイルファさんが福引を当てたんだし。逆に俺までこうやって旅行に来れて、こっちがお礼を言わなくちゃ」
それに旅行に来れたおかげで、家にいるときよりも積極的なイルファさんを見ることもできたしね。
いや、そんなことは口には出さないけど。
「俺はそろそろあがるよ」
そう言って湯船から立ち上がる。
「それでしたら私も」
「イルファさんはゆっくりしてていいよ。今はいったばっかりだろ? あ、でも・・・・・・えっと、入り口の所で待ってるから。一緒に、部屋に戻ろうか。それから・・・・・・いっぱい、しようか。二人っきりになることなんて、滅多にないし」
向こう側にいるイルファさん。うなずいてくれたみたい、かな?
次の日、カーテンの隙間から漏れてる朝の光と、それと体にかかるムニュムニュとしてあったかい感触で目が覚めた。
目を覚まして一瞬、自分がどこにいるんだかわからなくなったけど。そういえば俺、イルファさんと一緒に旅行に来てたんだっけ。
隣に目をやると、さっきから感じてる柔らかな物の正体。昨日、そのまま眠ってしまったイルファさんがいた。
朝から裸のイルファさん。目の毒だよなぁ。
「おはよう、ございます貴明さん」
「お、おはよう、イルファさん。起こしちゃった?」
布団の周囲にばら撒かれている浴衣や下着を、手を伸ばして探しているとイルファさんが目を覚ました。
とたんにお互い何も着てないのが恥ずかしくなってくる。
慌てて着替えていると、ううっ、笑わなくたっていいじゃないか。
「ですが、昨夜はあんなに恥ずかしいことを私にしてくださいましたのに、貴明さん、裸を見られただけでそんなに顔を赤くするのですもの」
うっ、そ、そりゃ昨日はもう興奮してて無我夢中だったし、って言うかイルファさん。もしかして昨日してるときからのスイッチ、はいったまま?
「さて、どうでしょう? 貴明さんがいけないんですよ。いっぱいしようなんておっしゃるから。私、本気にしましたんですよ」
いや、イルファさん、そんな色っぽい目なんかされると、ほら、今朝だしさ、朝から俺の理性の限界の挑戦されても、ほら、ね?
「それともあれは嘘だったとおっしゃるんですか。あの後、このお布団の上であんなにも私のことを愛してくださいましたのに、それは全て誤魔化しだったと」
ごまかしてなんて俺は本気でイルファさんと・・・・・・俺、もしかしてからかわれてる? そんなクスクス笑ってるところ見ると。
勝手に赤くなったり青くなったりしている俺の横で、イルファさんはゆっくりと浴衣を着る。
「貴明さん、朝食までまだお時間もありますし、よろしければお風呂、一緒にはいりにいきませんか」
「お風呂に?」
そういえば体もベタベタするし、朝風呂っていうのも悪くはないけど、一緒に?
「はい。そのために昨日のうちに家族風呂の予約もお願いしてありますし、いかがでしょう」
「いいね、行こうか」
せっかく一緒に温泉にきたんだから、ふたりだけで入れるなら願ったり叶ったりだ。
後は、頑張れ、俺の理性。
「それじゃあ、行きましょう貴明さん」
立ち上がった俺の腕に、イルファさんが抱きついてくる。
楽しそうなイルファさん。
俺は、イルファさんにこの旅行をプレゼントしてくれた神さまと、それと俺を選んでくれたイルファさん両方に感謝をしながら。
今度は、俺が連れてきてあげたいな、なんて考えながら人気のない朝の廊下を、イルファさんと一緒に腕を組んで歩いていく。
終