最近、向坂環は機嫌が悪い。
 理由は簡単。4月から河野貴明と事あるごとにくっついてまわっているあの双子のせいだ。
 いや、あの双子は別に問題ない。むしろ、あの女の子に対して臆病すぎる河野貴明には、良い経験だとさえおもっている。
 では何が彼女の機嫌を悪くしているのか。正確に言うのならそれは、双子よりもむしろ、その双子のところにいるメイドロボのせいだ。


 唐突だが向坂環はメイドロボが嫌いだ。
 嫌いだというよりも、理解できない。
 人件費の削減だとか、そういった理由ならまだわかる。でも、なぜ、弟をはじめ世の人たちはああもメイドロボのことを有難がるのか。
 結局メイドロボなんて、人の形をしただけの機械ではないか。機械がいくら人間のように振舞ったとしても、そこには人間のような温かみが無いし、第一心が無い。
 常々そう考えていたし、自宅ではメイドロボ導入を叫ぶ弟に日々教育を施す毎日だった。
 そんなメイドロボ嫌いの向坂環の前に、ある日、河野貴明がメイドロボを連れてきた。
 連れてきただけならまだ良い。聞けばあの双子の姉の方は、来栖川で顧問をやるような優秀なメイドロボ研究者だと言うではないか。そんな彼女がメイドロボの一つや二つ持っていても不思議はない。あとはただ河野貴明に、そんなロボットよりも私が家事でも何でもしてあげる。そう言えば事は済むはずだった。


 河野貴明から、次の一言を聞くまでは。


「俺の、大切な人なんだ」


 最初はたちの悪い冗談かとも思ったが、どうも河野貴明はそれを本気で言っているらしい。目を見ればわかる。河野貴明は、本気でそのメイドロボを愛していると言ったのだ。伊達に何年も河野貴明のことを見つめ続けてきたわけではない。
 おかげで向坂環はひどく混乱することになる。


なんだそれは。

 
「大切な人」?


 タカ坊、それは人間じゃなくてロボット、機械なのよ!?


 なんとかそれをその場で叫ばずに済んだのは、河野貴明の隣に、そのメイドロボが立っていたからだろう。
 河野貴明のそのセリフに、瞳を潤ませて。
 まるで、好きな相手から告白を受けた女の子のように。


 おかげで向坂環は機嫌が悪い。
 河野貴明がメイドロボなんかにはしった事も機嫌を悪くさせるなら、そのメイドロボ相手に嫉妬してしまった自分にも腹が立つ。
 本当なら、そのセリフは自分が聞かせてもらうつもりでいたのに。
 河野貴明の隣にも、自分が立つ予定だったのに。
 これで河野貴明が連れてきたのが、他の、人間の女の子だったらここまで混乱することもなかっただろう。
 例えばあの双子。どちらと付き合うにせよ、2人のことを向坂環は素直に祝福したにちがいない。
 でも、まさか河野貴明の好きな相手が血も通っていないロボットで。その心なんてないはずのメイドロボは、まるで人間の女の子のような表情をするのだから。
 そんな気持ちに整理を付けられないまま、今日も向坂環は学校に向かう。
 教室に入って、自分の席に座っても気持ちは落ち着かない。そもそもそれくらいで整理の付けられる感情なら、とっくに決着が付いている。おかげで今朝もまた、そんな答えの見つかりそうにない問題に悩むことになるのだ。
 だから、向坂環はそのことに気が付くことができなかった。
 いつもなら教室に入ってきてすぐ号令をかける担任が、今日はそうしなかったことに。
 開けっ放しにされた教室の入り口から、彼女が中に入ってきたことに。
 そんな彼女を見て、クラス中からどよめきの声があがったことに。
 向坂環がそのことに気が付いたのは、彼女が黒板に自分の名を書いて、お辞儀をしたあとのことだった。


「HMX−17a“イルファ”と申します。一週間と言う短い時間ですが、どうか皆様よろしくお願いいたします」


 


 休み時間の校内を、異様な一団が移動していく。バラバラの学年の男女で構成された一団は、場所を移動するごとにその人数を増やしていった。
 中心に居るのは2人。向坂環と、彼女に校内を案内してもらっているイルファ
 そして、そんな2人を距離をおいて取り囲む野次馬たち。
 来栖川の新型メイドロボを一目見ようと集まった彼らを、向坂環は気にも止めないようにイルファを連れて歩いていく。
 実際のところ、野次馬どころではない。
 このところのイライラの、その原因が。よりにもよって自分と同じ制服を着て、同じ学年の同じクラスにやってきて、しかも校内の案内しているのが自分自身というのだから。
 周りに誰もいないのなら、何の冗談だと叫びだすところだ。
 もちろん、こんな人の多いところで、しかも隣にこのメイドロボがいる状態でそんなことをできるわけがないのだけど。
 だが今朝教室に入ってきたイルファをみて、思わず驚いた表情をつくってしまったことが運の尽きだった。
 もとより教師からの信任が篤い向坂環。なんだ向坂、イルファのことを知っているのか。じゃあ、次の休み時間に校内を案内してやれ。
 思わず頭を抱えたり、そのことを表情に出さなかっただけ向坂環はさすがというべきだろう。


「それで、向こうが学食ね。これで一通り校内の施設は案内したけど、どこかわからないところはあった? イルファ


「いえ、だいたいは理解できました」


 今だって、こうやって校内を案内するだけでもう必死なのだ。
 そこへ一緒に歩くイルファ


『申し訳ありません。メイドロボの私が向坂様にお時間を割いていただくなんて』


『気にすること無いわよ。先生にも言われたことだし。それに、河野貴明の姉代わりとしてこれくらいは当然じゃない? イルファはタカ坊の大事な人なんだから』


『い、いえ、そんな私が貴明さんの・・・・・・だなんて』


 思わず教室を出るときに言ってしまった河野貴明の名前。
 そして河野貴明の名前が出たときに見せた、この表情。
 心なんてないはずなのに。まるで気持ちがあるような顔をする。いや、本当にこのイルファはロボットなのだろうか。
 だんだんと、教室の影からドッキリの看板を持った人間が飛び出してくる妄想に駆られ始めた。
 ひっかかったな姉貴。今までのは全部俺たちが考えた嘘だったんだ。
 それにしてもタマ姉がこんなにうまく引っかかるとは思わなかったよ。もちろんイルファさんはメイドロボじゃなくて人間だし、俺が言ったセリフも全部台本通りだったんだよ。


「向坂様? どうか、なさいましたか」


「い、いえ、なんでもないわよ。ちょっと考え事していただけだから」


 けれどそんな不毛な妄想が実際に起きることもなく、もちろん看板もカメラも飛び出してこない。


「だいたい案内もできたし、そろそろ戻りましょうか。クラブ棟の方は、またお昼休みにでも案内してあげるわ」


 ついうっかり落としそうになる肩を、努力して正す。いくら調子が落ち込んでいても、背筋を曲げて歩くなんて無様な真似、できるはずがない。
 たとえ相手がメイドロボでも、いや、メイドロボだからこそ。毅然とした態度を取り続けなくてはならないのだ。


「あの・・・・・やはり私の案内、向坂様のご負担になっていませんでしょうか」


「もう、だからそんなことは無いって言ってるじゃない」


「ですが、時々難しいお顔をなさいますし。やはり何かご予定があったのでは」


 負担になっていると言うのは当たらずとも遠からずといった所だが。だからってまさか、イルファを案内しているせいでこっちは考え込んでしまっているのだ、と言うわけにもいかず。
 向坂環にすれば、相手はロボットなんだから、そんな向こうの気持ちを考える必要本来はないはずなのだけれど。


「それとも、私に案内されるよりもタカ坊の方が良かった? それはそうよね、なんと言ってもイルファは、タカ坊の『大切な人』なんだから」


「い、いえ、そんな」


 更に。うろたえるイルファに、向坂環は自己嫌悪だけを大きくするハメになる。
 抑えきることのできなかった気持ちと、いつもの向坂環らしくもない、そんな皮肉めいた言い方に。
 薄々感じていた、自分のイルファに対する羨望を見せ付けられたような気がして。


 そして現実は、どこまでもそんな向坂環にとって残酷なもので。


「い、イルファさん!?」


 しかも、よりにもよって一番最初に叫んだのがその名前。


「貴明さん」


 追い討ちをかけるようにイルファの声。
 そして自分を追い抜いていく足音。

 
「え、なんでイルファさん学校に・・・・・・それにその制服」


「はい、珊瑚様がお願いしてくださったんです。研究所の方に、運用テストということで私がこちらに来られるよう」


 固く手を結ぶ2人。
 どよめく野次馬。
 もう、目眩でも起こしそうだ。


「一週間の短い間ですけど、私、貴明さんたちと一緒に学校に通えるんです」


「そう・・・・・・なんだ。でも嬉しいよ。一週間でも、イルファさんと学校でも会えるなんて」


 周囲の目さえなければ、そのまま抱き合いでもしそうな2人の様子に野次馬たちの期待も盛り上がる一方で。


「ちょっとタカ坊。イルファも。2人で盛り上がるのは良いけど、もうちょっと時間と場所を考えなさい」


 けれどただでさえ自己嫌悪に陥って、イルファに対して気持ちの整理の付かない今の向坂環。自分の目の前で、周りの期待通りに2人がなることを、黙ってみていられるわけがなく。


「た、タマ姉、なんでここに!?」


 ただ、河野貴明からそんな返事が返ってくるんじゃないかなぁと言う予感は向坂環にはあって。
 だって、河野貴明イルファ以外の物が目に映っているようには見えなかったし。
 溜息のひとつも漏らしたくなるのを必死にが我慢する。
 溜息をついたとたん、今までの自分の気持ちや悩みが、全部無駄になるんじゃないかと思えてしょうがないせいで。
 例えイルファがどんなに人間のように見えたところで、ロボットはロボット。いくら2人が仲睦まじそうに見えたとしても、そんなものはきっとプログラムでしかないのだ。
 手を硬く結び合って寄り添う2人が、まるで何年も連れ添った恋人に見えたとしても。
 心を持たないロボットが、心からの笑顔を貴明に向けていたとしても。
 メイドロボに、イルファ河野貴明を愛することなど、できないはずなのに。
 なのになんでタカ坊とイルファが笑いあっているのを見るだけで、こんなに胸を締め付けられるような気分にならなければならないのか。
 その気持ちが、嫉妬だとか羨望だとか言うものだと向坂環は知っているはずだし、薄々気が付いているはずなのだけれど。
 けれど向坂環は、その気持ちを必死になって隠そうとしてしまう。


「あのねタカ坊。イルファは私たちのクラスに入ってきたの。初めてこの学校に来たクラスメイトに、校内を案内するのは当然でしょ」


 河野貴明にとって、向坂環と言う人間は、そんな情けない気持ちを抱くことのない人間な筈だから。


「もう、何年も面倒を見てあげたタマお姉ちゃんの言うことは信用しないのに、イルファの言うことは信じるの、タカ坊」


だから向坂環は、河野貴明の前では彼の考える向坂環を演じ続けなければならないし。向坂環は、たとえ河野貴明が愛したのが機械だって、それを理解してやらなければならないのだから。


「はいはい、ごちそうさま。でも人前でいちゃつくのもほどほどにしなさいよ」


 いっそ、イルファが本当の人間だったら良かったのに。
 それだったらイルファのこの笑顔も、タカ坊に向ける眼差しも、2人のこの愛情だって、全部本物だって思うことができるのに。
 そう、思ってしまう。


「それじゃあイルファさん。私は先に戻っているわね。タカ坊、ちゃんとイルファのこと送ってあげなさいよ」

 
 そう言って、向坂環は踵を返す。
 心配なのは、ちゃんと今、いつも通りの表情でいられたかどうか。
 いつもなら、いつもの通りの向坂環ならそれくらい、なんの問題も無くこなせただろう。


『ただ、俺はイルファさんと学校でも一緒にいられるのが嬉しくて』


 最後に、2人の前から立ち去る前に、河野貴明の口からそのセリフさえ聞いていなければ。
 最初から、とっくに我慢の限界などは超えていたのだ。ここで向坂環が2人の前から、まるで逃げ出すように離れたとしてだれが彼女のことを責められるだろうか。
 野次馬の輪から、何でも無いという風に抜け出したところでもう無理だった。
 振り返りもせず、教室に向かうことも無く、一目散に屋上に向かう。途中で誰かに呼ばれた気もするが、今の向坂環の耳にそんなものが入るはずも無い。
 ようやくたどり着いた屋上には、幸い誰の姿も見当たらなかった。


「なぁにやってるんだろうなぁ、私」


 冷静に今の自分を考えることができるくらいには、落ち着いて来たようだ。
 休み時間もそろそろ終りになる。教室に戻らなければいけないのだが、果たして、今の向坂環イルファの顔をまともに見ることができるのかどうか。


「でも、仕方ないじゃない。タカ坊が、あのメイドロボのことを好きだって言うんだから」


 そう嘯いててはみるが、自分で自分の言ったことに、まるで共感できていない表情をする。
 向坂環だって気が付いているはずなのだ。
 けれどイルファはロボットで、そのせいで、今向坂環は屋上にいる。


「向坂様」


 扉の開く音がする。
 彼女が振り向くと、屋上の入り口のところに青い髪のメイドロボが立っていた。


イルファさん? そろそろ授業よ? タカ坊もしょうがないわね、ちゃんと送ってあげるように言ったのに」


「いえ。貴明さんは送ってくれようとしたのですが、私がお断りしました」


 手すりに寄りかかる、向坂環の体が一瞬固まった。


「あら、どうして?」


 あんなに嬉しそうにしていたじゃない、とは続けなかったけれど。
 そう思ったからこそ、向坂環はあの場を離れたのだ。
 嬉しそうにしている2人を、こんな気持ちのままでいる自分が邪魔してしまわないように。


「はい。今、私を案内してくださっているのは向坂様ですから。ご迷惑でなければ、また案内していただいてもよろしいですか?」


 なのにイルファはそんなことを言う。
 なんで? どうして? 向坂環の混乱は、加速する一方だ。
 河野貴明のことが好きなら、ずっと一緒にいれば良いのに。


「だって、向坂様。あとでクラブ棟を案内してくださると、約束してくださいましたから」


「そんなの、タカ坊にしてもらえば良いじゃない」


 思わずそう叫んでしまう向坂環だったけれど、イルファの真剣な表情は変わることはない。


「いいえ、私は向坂様に、案内をしていただきたいです」


 それどころか、前に出て、向坂環のことを見つめてくる。


「だから、タカ坊のことが好きなら、タカ坊と一緒にいたほうが良いじゃない。それなのに私がいいだなんて。だいたい、あなたが本当にロボットだって言うなら、心が無いって言うなら、もっとそれらしくしてなさいよ! 心が無いってわかるのなら、私だってこんなに悩むことなんて無かったんだから!!」


「・・・・・・もう、向坂様も強情な方ですね」


 叫ぶ向坂環。けれどそれを聞いたイルファの反応は、向坂環の言葉にショックを受けるどころかむしろ嬉しそうで。
 おかげでこの瞬間、向坂環の混乱はピークに達する羽目になる。


「そうです。私はロボットなのですから、普段機械に接するように、『お前の案内なんてしたくない』『なんで私がロボットのために働かなければいけないんだ』とおっしゃってくださればよかったんです。そうすれば私も、こんなに向坂様を困らせるような真似をしませんでしたのに」


 そう言われて、向坂環は愕然とする。今、そう言われるまで。いや、言われた後でも、そのようにイルファに向かって言おうとは考え付きもしなかったのだから。


「そ、それは、イルファがタカ坊の大切な人だから・・・・・・」


 ようやく搾り出したその言葉だって、言っていて本当にそう思っているのか自信が無さそうだ。


「ありがとうございます」


「えっ!?」


「向坂様は最初から、私に心があるのだと考えていてくださっていましたから。だから、ただの機械にするように命令するのではなく、心がある人と同じように接してくださいました。本当に、ありがとうございます」


 あいた口が塞がらないとは、このようなことを言うのだろうか。
 深々と頭を下げるイルファを、向坂環はただうろたえて見ていることしか出来ていない。


「ちょ、ちょっと、そんな。早く頭を上げなさいよ恥ずかしいじゃない」


 さっき屋上に上がってきたときに確認したはずなのだが、思わず周囲の人影を確認してしまう。


「それでは──


「もう、わかったわよ。ちゃんと約束通り、あとでクラブ棟は案内してあげるから」


 思わず、大きく溜息をついてしまう向坂環。脱力して、その場にしゃがみこまないのが不思議なくらいだ。


イルファさん!!」


 勢い良く屋上の扉が開く。


「急にいなくなっちゃうから心配・・・・・た、タマ姉、なんで!?」


 その場に慌てた河野貴明が跳びこんできた時、2人は目を合わせ、クスクスと笑い声を上げていた。





 向坂環はメイドロボが嫌いだ。


「さぁ、貴明さん。あーんしてください」


 嫌いだというより、対抗心を燃やしている。


「ちょっとイルファさん、みんな見てるって。ほら瑠璃ちゃんも何か言ってあげてよ」


 人に代わって、仕事をしてしまうからではない。


「ほらほらタカ坊。せっかくイルファが作ってくれたお弁当なんだから、残しちゃだめよ」


 人と同じ形をして、人間と同じように振舞うだけじゃない。
 彼女は暖かな笑顔で、人と変わらない心をもっていたのだから。





   終