夕暮れ時のアーケードは、俺たちと同じような買い物客で賑わっていた。
 夕飯の材料を買いにきた主婦や、学校帰りに立ち寄った学生。中には二人で買い物に来ているんだろう。仲良く歩く中年の夫婦の姿もある。
 それと数は少ないけれど、どこかの家で働くメイドロボと。


「申し訳ありません、貴明さん。お買い物に付き合っていただいてしまって」


「いいって。イルファさんにはいつもお世話になってるんだから。これくらい手伝って当然だよ」


 そんな中を、俺とイルファさんは二人で並んで歩いて行く。
 俺の両手にはカバンと、あとさっき買った日用品の袋。
 珊瑚ちゃんの家に帰る途中、偶然イルファさんに会って。聞けばこれから買い物に行くって言うから、こうして手伝うためにイルファさんについて荷物持ちをやっている。
 イルファさんの方でも荷役ができて嬉しかったのか、この前に行ったスーパーではちょっと買い物をし過ぎてしまったらしい。お陰で両手で荷物を抱えることになってしまったけど、まあ、イルファさんのためならこれくらいのことお安い御用だ。


「えーっと、他に買うものは?」


「あ、はい。後は今日のお夕食の材料を買うだけです」


 そう言って、今日の夕飯のメニューを教えてくれるイルファさん。今日はチンジャオロースーにするそうだ。


「良いレシピを教えていただいたので」


「へー、そうなんだ。でも、チンジャオロースーじゃ、珊瑚ちゃん嫌がらないかな。ピーマンは入ってるし」


「だからこそです。お二人の健康のためには、好き嫌いなくバランスの取れた食生活を心がけていかなくてはいけませんから。もちろん、貴明さんもですよ。インスタント食品ばかりじゃ、病気になってしまうんですから」


「お、俺はそんなことしないって」


 そりゃまあ確かに、一人で暮らしてた頃はカップめんばかり食べてたけど。でも今はイルファさんや瑠璃ちゃんのお陰で、ちゃんとした料理を食べているし。
 むしろ両親といたころより、食生活は向上しているんじゃないだろうか?


「よっ、イルファさん買い物かい? 今日はいいサンマが入ってるよ!」


 そんな風に二人で笑い合いながら歩いていると、魚屋の前でイルファさんが声を掛けられる。


「どうもこんにちは。サンマも良いですけど、今日は野菜料理にする予定なんです」


「野菜ぃ? やめとけやめとけ、あんな八百屋に行ったってろくな物置いてないぞ。それより魚を食わなきゃ、カルシウムたっぷりで美容にも良いよ」


「いえ、ですから私は食べ物が食べられませんと以前」


 困った顔で返すイルファさんと、そこで豪快に笑う魚屋さん。たぶん、いつもやっている会話なんだろう


「えっと、イルファさん。知り合い?」


「はい、いつも魚を買うときにお世話になっているお魚屋さんなんです」


「っと、イルファさん。横の兄ちゃんは、もしかして、イルファさんの」


 そこでようやく俺の存在に気が付いたらしい魚屋の親父さん。
 いかにも胡散臭そうに俺の事を見るのは、お客に対して失礼じゃあないだろうか。いや、買うのはイルファさんで俺じゃあないけどさ。


「はい。私の旦那様なんです」


「ちょ、ちょっとイルファさん、旦那様って!」


 そう言うと、イルファさんは俺と腕を組むように寄ってくる。
 親父さんと言えば感心したように「はぁー」とか「こんななよなよした頼りないのがねぇ」とか「イルファさんもこんなのが趣味なのか」とか。
 聞こえてるぞ。


「まあ、いいや。おい兄ちゃん。ちゃんとイルファさんのこと、大事にしてやるんだぞ。もしイルファさんのこと泣かせたら、俺がただじゃおかねぇからな」


「もう、魚屋さんったら。やめてください」


 まんざらでも無さそうなイルファさん。
 俺といえば、なんだか、照れるな。会話の内容が、まるで、なんと言うか、新婚さんみたいで。


「それでは、失礼いたします」


 丁寧にお辞儀をするイルファさんの後ろで、壊れた人形のようにぎこちない礼をする。
 親父さんは、次のお客がくるまでこちらに手を振っていてくれた。


「楽しい人だったね」


「あ、申し訳ありませんでした。ちょっと、ふざけ過ぎてしまって」


「別に怒ってないから大丈夫だよ。それよりも、家以外でのイルファさんをみれて楽しかったし」


「も、もう」


 イルファさん、そう言って横を向いてしまう。ただ、さっきから俺と腕を組んだままだし。口調ほど怒ってはいないみたいだ。
 本当は、さっき魚屋であんな会話をしたばかりだし、こんないつ知り合いと会うかわからないような場所でイルファさんと手を組んで歩くのは恥ずかしいを通り越して顔から火を噴いてしまいそうなくらいなんだけど。
 でも、ここで照れくさいからって手をほどくにはイルファさんの腕は柔らかくて。それにこんなくすぐったい気分でいるのも。
 たまには、悪くないよな。


「あ、貴明さん。ここの八百屋さん・・・・・・も、申し訳ありません! わ、私ったらずっと貴明さんと」


 そこで、ようやく俺と手を組んだまま歩いていたことにきがついたんだろう。
 顔を真っ赤にして俺から離れるイルファさん。ちょっとだけ残念だったかもしれない。


「いいっていいって、それよりも、ピーマン買わなきゃいけないんでしょ」


「は、はい」


 まだちょっとギクシャクしたまま、八百屋の中に向かうイルファさん。また威勢のいい挨拶をされているというのは、ここでもきっと、イルファさんはお得意様なんだろう。


「いーえ、ですから。こちらのピーマンは少し高すぎるのではないかと。近くのスーパーでは、これより23%は安く販売していましたよ」


「あんな農薬だらけの物と一緒にしないでくれよイルファさん。ここに並んでるのは全部、俺が朝市場に行って仕入れてきた物なんだぜ」


「それに、昨日置いてあった物から比べると、質もやや落ちるのではないかと。確か、昨日仕入れに行かれたのは奥様ではありませんでしたか?」


「そうなんだよイルファさん。この人ったら付き合いで野菜仕入れてきちゃってさぁ」


 ずいぶんと頼もしい、イルファさんとお店の人との会話。いつもこういう風に、俺たちのご飯の買い物のためにここに来てるんだろう。
 店の入り口の所でもやしだのニガウリだのを眺めながら、そんなイルファさんの様子に耳を傾ける。
 お店の人との交渉も佳境に入ったみたいで、ピーマンの乗ったカゴを手に八百屋のご主人にイルファさんは詰め寄っていく。この分なら、今日の晩御飯の食材は無事手に入れることができそうだ。
 そうなってしまうと、自分が何か野菜を買うわけでもないし。店の外でイルファさんを待つことにする。
 相変わらずアーケード街の中はたくさんの人通りで、どの店にもお客の姿がある。
 八百屋の隣の店に目をやってみると、コロッケ屋みたいだ、そこにも今日のおかずを買うためなんだろう。何人かの女の人たちがお惣菜を買っているところだった。


「あれ?」


 そんなコロッケ屋の前に、明らかに周囲の主婦とは雰囲気の違う女のコが一人。
 青みがかかった服を着た彼女は、油よけのガラス板の前で。今日も、手を出そうか出すまいかと悩んでいた。
 耳のところにはイルファさんと同じ、メイドロボであるという証拠の耳カバー。


「ねえ、また会ったね。俺のこと覚えてる?」


 彼女は俺の言葉に反応すると、こっちを向いて、一瞬不思議そうな顔をすると。


「あ・・・・・・」


 何かを言いかけたんだけど、なぜかすぐに口を閉じてしまって。
 そうしてにっこりと俺に笑いかけてくれると、深々とお辞儀する。
 覚えていてくれたみたいだ。


「また、話せなくなったの?」


 プルプルと首を横に振る彼女。じゃあ、なんで?


「もしかして、あの時と同じように?」


 笑顔で頷く。そして、何かを喋るようにゆっくりと口を開く。


『お久しぶりです。あの時は、どうもありがとうございました』


 声には出していないけれど、きっとそう言いたいんだと思う。


「今日も買い物?」


 彼女は頷くと、手に提げた買い物籠の中を見せてくれた。
 魚、多分、鮭の切り身。それにキノコに、玉ねぎに、バター。さっぱりメニューの見当がつかない。
 すると彼女は、切り身を両手で包むような仕草をして、説明しようとしてくれる。
 ああ、多分、包み焼きか何かでもするってことなんだろう。
 当たっていたのか、嬉しそうにする彼女。
 すると今度は、首を傾げて俺のほうを見つめてくる。
 えっと、これは。


「俺? えっと、俺は」


「貴明さん、お待たせいたしました」


 彼女になんて説明すればいいか、意味もわからず悩んでしまう。
 どうしてそんな気分になったのかはよくわからないんだけれど、なんとなく、後ろめたさをのような物を感じてしまった。
 だから、イルファさんが声を掛けてくれて、正直救われた気分になった。


「見てください、こんなにたくさんピーマンをオマケしてくださったんですよ」


 イルファさんは嬉しそうに、八百屋での戦果でいっぱいの買い物籠を見せてくれた。


「少し、多すぎじゃない?」


「そう、ですか。あ、それでしたら明日のメニューはピーマンの肉詰めにいたしますね。それと、サラダにするのもよろしいですし」


「うん。楽しみにしてるよ。今日のチンジャオロースーもさ」


「はい。期待していてくださいね・・・・・・あら?」


 イルファさんと、俺の後ろできょとんとしていた彼女との目が合う。


「貴明さん、こちらの方は」


「あ、うん。えーと」


 さて、いざ彼女のことを紹介しようと思った場合、どんな風に紹介することになるんだろう。
 彼女とは春に、一度だけ買い物を手伝ってあげたことがあるだけだし。
 そもそも俺は、彼女の名前だって知らない。そういえば、俺の名前を彼女に教えたこともなかったな。
 そんな風に俺が慌てているのを見かねてなのか、彼女の方から先に、イルファさんに頭を下げてお辞儀をする。いかにも優秀なメイドロボらしい、そのまま教科書にでも載せられそうな綺麗なお辞儀のしかただ。


「えっ、あ、申し遅れました。私、HMX−17“イルファ”と申します」


 こちらは逆に、いつものイルファさんらしくないくらい慌ててお辞儀を返す。
 そんな様子のイルファさんが可笑しかったのか、それともお辞儀の表紙にカゴから飛び出たピーマンが琴線にふれたのか。クスクスと笑う彼女にイルファさんはさらに顔を赤くしてしまって。


イルファさん、もしかして緊張してる?」


「も、もう貴明さん。からかわないでください」


 どうやら図星だったらしい。


「こちらの方は同じHMシリーズの、私にとってお姉様に当たる方なんです。失礼がないよう、緊張するのも当然です」


 俺たちの会話がそんなに面白かったんだろうか。
 そこでようやく、彼女が俺たちのことを見つめていたことに気が付いた。


「ご、ごめん。えーっと、いま本人から紹介があったけど、イルファさん。今、一緒に住んでて、いろいろお世話になってるんだ」


 すると彼女は、相変わらず声を出さずに口の動きだけで何かを質問してくる。
 あの時もそうだったけど、不思議と、彼女が何を言いたいのか理解することができた。


 『あなたは、あのメイドロボットの旦那様なのですか?』って。


 彼女の急な質問に、俺よりも隣にいるイルファさんの方が慌ててしまう。ふざけて俺のことをそう呼ぶ割には、人にあらためてそう言われるのは恥ずかしいみたいだ。
 俺の方はといえば、確かにイルファさんにそう言われ慣れてるってこともあったんだろうけど。でも、俺とイルファさん。それに珊瑚ちゃんと瑠璃ちゃん。俺たちの関係が、旦那様やメイドロボだとかそういった物じゃないって。きっと俺は、考える前に答えなんか出してしまっていたんだろう。


「旦那様って言うか、イルファさんは、俺の大切な家族の一人だからさ」


 だから、照れたり恥ずかしがったりしないで、すぐにその答えを言うことができた。
 俺の答えに彼女も満足だったんだろう。笑顔で、うなずき返してくれた。





「素敵な方でしたね」


「そう? イルファさんでも、そう思うことがあるんだ」


「当然です。私も、あのお姉様のような素敵なメイドロボになりたいです」


 今日もまた、俺たちと彼女はあのバス停の所でそれぞれ別れた。
 俺たちの買い物は終わっていたのに、結局彼女の買い物に最後まで付き合ってしまって。お陰で荷物をもった腕が痛い。
 イルファさんは買い物中ご機嫌で、よほどメイドロボの先輩と話ができたのが嬉しかったみたいだ。
 それに、いつも俺たちの世話ばっかりしてくれているから、今日みたいに上の人と付き合うのが新鮮で楽しいんだろう。


イルファさんは、十分素敵だと思うよ。いつも俺や、珊瑚ちゃんや瑠璃ちゃんのために働いてくれて。イルファさんのような人と一緒にいられて、俺は嬉しいからさ」


 「まあ」と言ったイルファさん。クスクスと笑い声をあげて。
 言ったことに嘘はないけど、やっぱりちょっと、言ってて照れくさい。


「ところで貴明さん」


「なに?」


 急に立ち止まって、俺の目を覗き込むように見つめてくるイルファさん。頬が赤く染まっているように見えるのは、夕日ばかりのせいじゃないだろう。


「私は、貴明さんが私の旦那様であってもまったく問題ありませんから。いつでも、お世話させていただきますからね」


 きっと俺の顔も、夕日に照らされて赤になっているだろう。
 こういう時、気のきいたことでも声を掛けられたらいいと思うんだけど。
 けれどそんなセリフなんてさっぱり思い浮かばなくて、悩んだ挙句に俺は。
 荷物を全部片腕に持ち替えて、横を歩くイルファさんの腕を取る。イルファさんのほうでも、そっと俺の腕を握り返してくれた。
 長く伸びた俺たちの影を、道路を走るバスが追い抜いて行った。
 きっとあの中に、さっき分かれた彼女が乗っているんだろう。彼女も、彼女の旦那様と一緒に、こうやって歩くんだろうか。
 俺とイルファさんは、珊瑚ちゃんと瑠璃ちゃんの待つマンションにゆっくりと帰っていく。





   終