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「だぁぁぁぁーっ!!」
季節外れのにわか雨に、俺は慌ててマンションに駆け込む。
学校を出た時には晴れていたのに、ちょっと曇ってきたかなと思っていると、駅前に出る頃にはバケツをひっくり返したような雨になっていた。
もちろん傘なんて持っていなかったし、お陰で靴も制服もびしょ濡れだ。こんなことならコンビニにでも寄って、傘を買えばよかった。
けれど後悔は先に立たず、エレベーターに乗っている間もぽたぽたと床に水が滴り落ちていくのを我慢する羽目になっている。
体なんかもう冷え切ってしまって、空調のきいているマンションの中に居るはずなのに震えが停まらない。腕を組んで、足踏みをしながら何とか体を温めようとしていると、ようやくエレベーターが珊瑚ちゃんの部屋のある階に着いてくれた。
扉の鍵を開けようとするんだけど、手が震えてなかなか開いてくれない。ロックが外れる音がした時には、本気で救われたような気持ちになった。
「た、ただいま!!」
挨拶もそこそこに、家の中に入る。まずはこの濡れた服を着替えようと部屋に入ろうとして、自分がずぶ濡れで、今だって廊下に水溜りを作りながら歩いていることを思い出した。
「ま、まずい」
慌てて洗面所に向かうと、とりあえず上着もズボンも脱いで下着だけになる。下着も完全に濡れてしまっているけど、服のまま家の中を歩き回るよりはマシだろう。ちょっと恥ずかしい気もするけど、家の中、今誰もいないみたいだし・・・・・・そういえば、イルファさんどうしたんだろう。いつもなら、玄関まで出迎えにきてくれるのに。
どこかに買い物にでも行ったのかな? この雨に濡れてなきゃいいんだけど。
「へっくしゅん!」
ううぅっ、さむっ。このままじゃ風邪をひいちゃいそうだ。
部屋にもどると、急いで服を着替える。下着も乾いた物に取り替えると、ようやく一息つけた気がする。リビングも暖房のお陰で、大分暖かくなっていて。
あれ、俺、いつの間にエアコン付けていたっけ?
けれど服を着替えて落ち着くことが出来たのも、ほんの一瞬のことで。一度冷え切ってしまった体はなかなか温まってくれない。温風の前に立っていても、歯の根がかみ合わない。
牛乳でも温めて飲もうか、それともベッドの中に入ってしまおうか。問題は、どちらも今すぐに体が温まるわけじゃないんだよなぁ。
「あ、そうだ。お風呂」
なんで思いつかなかったのか。シャワーを浴びよう。お湯をうんと熱くして。
そうと決まれば善は急げだ。
一緒にお風呂も沸かしておいてあげよう。イルファさんや珊瑚ちゃんが帰ってきたら、すぐに入れるように。
雨はまだ降り止まないようで、脱衣所にいても激しい雨音が聞こえてくる。後で、迎えに行ってあげた方が良いかもしれない。多分、イルファさんは商店街だろうし、二人も今頃、研究所からバスに乗って帰ってきている途中だろう。
ただその前に、自分のことを何とかしなきゃ。このままじゃ3人を迎えに行くどころか、俺が風邪で倒れてしまう。
でも、本当にすごい雨だな。雨音なんて、まるで隣の部屋に雨が降ってるみたいだ。
「え・・・・・・?」
「あ・・・・・・ひゃ──ぁぁぁぁ」
お風呂場の扉を開けると、なぜかイルファさんがシャワーを浴びていた。なんで? どうして?
とりあえず
「ご、ごめん」
慌てて扉を閉める。
そうすると、とりあえずシャワーの音だけは小さくなって。ああ、雨音だと思っていたの、シャワーの音だったんだ。イルファさんの。
イルファさん、驚いた顔してたなぁ。ばっちり、目が合っちゃったし。
何も、服来てなかったし。当然だけど。
前にもこんなこと、あったよなぁ。
「あの・・・・・・」
「あ、その、イルファさん、ごめん。イルファさんが先に入ってたの、気が付かなくて」
お風呂場の扉の陰から、イルファさんの顔が覗いている。曇りガラスの向こうにイルファさんのシルエットが浮かんでいて、いけないとはわかっているのに、どうしても今さっきうっかり見てしまったイルファさんの裸を思い浮かべてしまう。
シルエットだけ、っていうのが、かえってこう想像を掻き立ててしまうと言うか。
「いえ、それは構わない、訳ではないですけれど。貴明さんになら。で、でも見て良いとは言ってませんからね。次からはちゃんと、確認してください」
「うん、ごめん。気をつけるよ」
ほんと、気をつけないとなぁ。
「ところで。貴明さん、お風呂、入りに来たのではないんですか?」
「あ、うん。そのつもりだったけど、イルファさんが入ってるのなら後にするよ」
そう言ったとたん、大きなくしゃみが出た。
そう言えば、シャワーを浴びるのに裸になってるし、今だって無意識のうちに足を動かしてしまっている。
「もう。それでは風邪を引いてしまいますよ。さぁ、どうぞ入ってください」
イルファさんがお風呂場の扉を引いてくれる。
確かにこのままリビングに戻っても、寒いままだし。申し訳ないような気もするし、ちょっと恥ずかしいんだけど、ここは素直に行為に甘えさせてもらおう。
お風呂場の中に入ると、もう既に湯船にはお湯が張られていた。
「ひどい雨でしたし、貴明さんたちがお帰りになられたら入られると思いまして」
そう言うと、イルファさんは腕をお湯の中に入れて温度を測っている。
いつもだったらその背中だとか、あといろいろ。後姿を目で追ってしまっていたかもしれないけれど、今日はそれどころじゃない。湯気の立つ湯船の中に、早く飛び込んでしまいたくて。
「ちょうど良いみたいですね」
洗面器にお湯を汲んで体に掛けると、体が冷えている分、まるで焼けどでもしてしまいそうなくらい熱かった。
ただ、湯船の中に浸かっても、体の表面はそれこそ痛いくらい熱いのに、なかなか体の中の方まで温まってくれない。ちょっと、体が冷えすぎたみたいだ。
「お湯の温度、もう少し上げた方がよろしいでしょうか?」
「いや、これくらいでちょうど良いよ。もう少し入ってたら、温まると思うし」
お陰でイルファさんにまで心配されてしまって。本当に、傘くらい買えばよかったな。
と、イルファさんも湯船の中に入ってくる。
上がった水面に、俺はちょっとだけ体を引いた。
イルファさんと一緒にお風呂に入ることなんて、別に今回が初めてって訳じゃないけど。でもいつもだったら珊瑚ちゃんたちも一緒にいたし。それに、あらためて、恥ずかしそうに前を隠してお風呂に入ろうとするイルファさんなんかを見てしまうと、どうにも今、自分が照れくさいことをしているんだって言う気分になってしまう。
「イルファさん、どうかした?」
しかも、イルファさんは俺のすぐ隣に座って。それどころか、水面に立った波はだんだんと俺の方に近づいてきて。
「もう、こんなに体を冷やしてしまって。風邪を引かれたらどうするんです」
お湯の中にいても、肌に触れるイルファさんの体温が気持ちいい。
「貴明さんが風邪を引いてしまったら、私だけではなく、瑠璃様も、珊瑚様も。とても心配するんですから」
「えっと、うん、ゴメン。次からはちゃんと傘、買うことにするよ」
怒ったように言われてしまって。どうもイルファさんを心配させてしまったみたいだ。よっぽど、俺は寒そうにしているらしい。
それでもようやく、お風呂に入って、それにイルファさんから伝わってくる温もりのお陰だろう。体の震えも収まってくれた。
「貴明さん。お願いが、あるのですけれど」
「何?」
「あの、実は私も、この雨に当たってしまっていて。それだけなら良かったのですが、帰る途中に、トラックに水をかけられてしまって。それでさっきも、シャワーを浴びていて」
そうして、ちょっと恥ずかしそうに俺のことを見て。
「私のことも、温めていただけますか?」
俺がイルファさんの肩に腕を回すと、イルファさんも、俺の胸の方に体を寄せてくれた。
『ただいまー。あ、瑠璃ちゃん、貴明もいっちゃんももう帰っとるよ』
『さんちゃん、そんなことよりも早く服着替えな。風邪引いてまうよ』
玄関のドアが開いて、珊瑚ちゃんと瑠璃ちゃんの賑やかな声が聞こえてきた。お風呂に入ってるだけなお陰で、二人の声がここまで聞こえてくる。
この様子だと、二人もにわか雨に濡れてしまったようだ。
俺はイルファさんと顔を見合わせると。イルファさんも、同じことを考えたらしい。
二人で声をひそめて笑いあうと、お互いの体から離れる。もう、十分暖めてもらったから。
イルファさんは湯船から上がると、お風呂場の扉を開けて。
「瑠璃様、珊瑚様。お風呂が沸いていますよ。一緒に、温まりませんか?」
終