たまにはベッドから起きて
「ただいま戻りました」
玄関が開く音と一緒に、イルファさんの声が聞こえる。出迎えると、流石に疲れた様子だ。
「お帰り。遅かったけど、何かあったの?」
今日はイルファさんの定期メンテナンスの日だった。
本来はメイドロボは、そんなにメンテナンスしなくても大丈夫なように出来ているらしい。それは最新型のイルファさんも同じで、本当ならこんなに頻繁に研究所に戻らなくても良いんだけど。
ただ『いっちゃんのデータな、おっちゃんに見せるとおっちゃん、すごい喜ぶんや』とは珊瑚ちゃんの談。メンテナンスと言うのは口実で、要はDIAの実験機であるイルファさんの、データ集めが目的らしい。
そんな理由だから、いつもなら午前中でメンテナンスも終わって、お昼ごろには戻ってきていたんだけど。今日はどう言う訳か時間がかかって、もうそろそろ夕御飯の時間になってしまいそうだ。
「え、いえ、特に問題になるようなことは、無かったといえば無かったのですが」
なんとなく歯切れの悪いイルファさん。
さっき珊瑚ちゃんから貰った電話では、ただ帰りが遅くなるって言うだけだったし特に心配もしていなかったんだけど。
まさか、その後でイルファさんに何か、良くないことが見つかったんじゃ。
「いえ、そんな心配していただくようなことじゃないんです。ただその、ボディの調整に、時間がかかってしまって…」
「どこか、調子の悪い部分でもあったの?」
「悪いと言うか…貴明さんの、せいなんですからね」
イルファさんは顔を真っ赤にして。お、俺、何かした!?
「その、せ、センサーの感度が高すぎて、それがCPUに負荷をかけていたんです。負荷と言っても瞬間的な物ですから、それほど問題にはならないのですが、念のため、その調整を」
問題が無いのなら良いんだけど。何でそれが、俺のせいになるんだろう。
「だって貴明さん、私が感じやすいの知っていますのに、いつも私のことを虐めて。昨日だってあんなに激しく。もう少しでブレーカー、落ちてしまうところだったんですよ」
一体イルファさんが何のことを言っているのか、理解するまでに一瞬間が空いてしまった。
「あ、で、でも安心してください、感度の方は今までと全く変わりありませんから。調整といっても、あくまでブレーカーの調整でしたので。い、今まで通りしていただければ、問題は…」
きっと俺の顔は、茹でたタコのようになってしまっているんだろう。目の前の、イルファさんのように。
言っていることがどんどん支離滅裂になっていってる。
そしてとうとう、逃げ出すようにキッチンへ。
「い、今すぐ、お夕食の準備をいたしますから。も、申し訳ありません、お待たせしてしまって──あ、あら?」
「イルファさんっ!?」
振り向いたとたん、バランスを崩すイルファさんを慌てて抱きとめる。
イルファさん、自分で何が起きたのかわかっていないみたいで、俺に抱かれたまま目を白黒させていた。
「大丈夫?」
「あ、はい、すみませ──あら、あららら」
俺が腕を放すと、また足がもつれて倒れそうになる。今度は横にいたお陰で、すぐに支えてあげることが出来た。
ただ手を放すとすぐにふらつく物だから、ソファに座るまでずっと抱いてあげていなくちゃならなくて、あんな話をしたばかりで少し照れくさい。
「きっと、調整の方にボディが慣れていないんだと思います」
ソファに腰掛けたまま、イルファさんは申し訳無さそうにそう言う。研究所から戻る時も、研究所の人にマンションの前まで送ってもらったお陰で気付いていなかったみたいだ。
「バランサーや、歩行用のプログラムにも多少手を加えていましたから」
「じゃあ、研究所に戻らなくちゃいけないのかな。珊瑚ちゃんに連絡する?」
「いえ、これくらいでしたら時間がたてば最適化されますし。大丈夫ですよ」
『珊瑚様がプログラミングしてくれたんですから』そう言ったイルファさんの表情には珊瑚ちゃんへの信頼がはっきりと浮かんでいて。
自分のことでもないのに、なんでか俺まで嬉しくなる。
「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。それでは、すぐにお夕食の準備をいたしますから」
けれど、イルファさんがそう言った時は驚いてしまった。
確かにイルファさんの言う通り、さっきの様にいきなり倒れそうになるようなことはなかったけど。それでもまだ足元が覚束いていない。
「いいって。イルファさんは休んでいてよ」
「で、ですが」
そのままキッチンへ行こうとするイルファさんを押し止めて、ソファに座らせる。
それだって、まるで腰が抜けたみたいにストンと座り込んでしまって、やっぱりまだ調子が悪いみたいだ。
「いいからいいから。具合の悪い時くらい、ゆっくり休まなくちゃ。無理をすれば、治るものも治らなくなるよ?」
それでもイルファさん、何とかして立ち上がろうとするんだけど。俺が肩から手を放そうとしないせいでなかなか立ち上がれない。
大した力を入れているわけでもないし、それにいつものイルファさんだったら、俺の手くらい簡単にあしらえているはずなのに。
けれどいくら頑張っても体をよじっても、ソファの上から立ち上がることができなくて。イルファさんにしてみれば、そのことが少なからずショックだったようで。そんなイルファさんの様子に顔がにやけてしまうのを我慢できない俺に、拗ねたように上目使いで見つめてくる。
「も、もう。貴明さん、そんなに笑わなくてもいいじゃないですか」
でも、お陰でようやく、イルファさんもキッチンへ行こうとするのを諦めてくれた。
「じゃあ、イルファさんも納得してくれたみたいだし。病気の人は病気の人らしく、ベッドで休んでいてもらおうか」
普段はやりこめられてばかりのイルファさんを、逆にやりこめられるこの千載一遇のチャンスに、俺の気持ちもずいぶん大きくなっているみたいだ。
俺のそんな様子に嫌な予感でも覚えたのか、ソファの隅でイルファさんは身を竦ませる。
でも、そんなイルファさんの弱々しい姿が、かえって俺の気持ちを昂らせてしまう。
イルファさんに抵抗されないよう、一瞬で。背中に手を回して、足を抱え上げて。一気に胸のところまで持ち上げる。いわゆる“お姫様だっこ”。
「ひゃ──やぁっ!?」
こちらの作戦通り、ただ呆然と俺になされるがままのイルファさん。気が付いた時には、もう、俺の顔が目の前に。
「た、貴明さん!?」
「動かないでね。いまイルファさんに動かれると危ないから」
言いたいことがありすぎて、もう何から言っていいかわからない、って言う顔をしている。顔も真っ赤にしちゃって。
ベッドに行くだけの、たった何歩かの間だったけど。なんだかとっても楽しくて、このまま手を放してしまうのが勿体無いような・・・
「貴明さん、は、早く下ろしてくださいは、恥ずかしいです・・・・・・」
後ろ髪を引かれる思いで、イルファさんをベッドの上に下ろしてあげる。さすがに、これ以上楽しんでいると後が怖い。
「じゃあイルファさん、ゆっくりしててね」
「も、もう」
イルファさん、よほど恥ずかしかったのかベッドに横になったとたん、枕を抱いて顔を隠そうとする。そんなイルファさんの、照れる様子にまた楽しくなってきて。思わずまた、イルファさんを抱き上げたくて腕がうずうず
「それでは、申し訳ありませんが。貴明さんのお言葉に、甘えさせていただきます」
「あ、ああ」
なんとなく、もう一度抱き上げるタイミングをはずされてしまった。
「貴明さん、ご飯、ちゃんと作らなくちゃダメですからね。カップラーメンじゃ、許しませんから」
「わかってるって。これでもここに来るまでは、一人でなんでもやってたんだから」
ただ、そのほとんどがスーパーのお惣菜か、インスタント食品だったのは黙っておこう。うん。
「それでは・・・・・・」
と、今度はなんだか笑顔を作って、俺の方を見つめてくるイルファさん。
なんだか、雰囲気がさっきまでとは。
「えっと、他に何か、あった?」
「いえ。ですが貴明さん。私、いまからパジャマに着替えようと思うのですが。貴明さん、そちらの着替えも手伝ってくださいますか?」
やられた。多分イルファさん、このタイミングを見計らっていたんだろう。
露わになった、イルファさんの白い肩を見ただけで慌てて寝室から飛び出る俺の背中に、イルファさんの笑い声。
なかなか上手く、最後まで行かないもんだ。
まあ、ゆっくり休んでくれる気にはなったみたいだし、とりあえずは良かったって言うことにしておこう。
気持ちを切り替えたら、今度はご飯の準備だ。
何を作ろう。イルファさんに釘を刺された手前、適当な物で済ませるわけにも行かないし。そもそもイルファさん、瑠璃ちゃんという二人の料理の名人がいるこの家に、カップラーメンなんてものが存在するわけがない。
とりあえず冷蔵庫を開けてみると
「メンがあるな」
なんだかいろいろ、下ごしらえ中の料理がバットの中に入っていたり、使い方のわからない食材なんかが並んでいる冷蔵庫の中に。俺でもわかる焼きソバ用のメン。
冷蔵室を引き出してみると、キャベツに、ピーマンを発見。
「焼きソバでもつくるか」
焼きソバなら、失敗もしないだろう。
苦労して包丁や、フライパンを見つけて。俺はここに来て初めて、自分で夕ご飯を作り出した。
照明を薄暗く落とした部屋の中で、何度目かになる寝返りをうちます。
貴明さんは休むように言ってくださいましたが、そうは言われてもなかなか気になって、なかなか落ち着くことが出来ません。
今も何かを炒めるような音が、扉の向こう、キッチンから。
私との約束通り、しっかりとお夕食を作ってくださっているようです。
ですが、やはり本当は、私がお作りしなければいけませんのに。
とうとう我慢できず、ベッドから下ります。
きっとまた、貴明さんには怒られてしまうのでしょうが。『メイドロボだって女の子なんだから、無理しちゃダメだよ』なんて。
そんなことを考えると、胸の中が暖かくなるような気がしました。先ほど、貴明さんに抱き上げられた時のように。あるはずも無い、心臓が高鳴るみたいに。
立ち上がると、さっきのようにふらついたりはせず、体の方もかなり慣れたようです。
寝室から出て、キッチンに向かうと。思ったとおり貴明さんは、フライパンを片手に悪戦苦闘していました。
「あれ、イルファさん!? 寝てなきゃダメだって言ったのに。それじゃあ良くなるものも良くならないよ」
「申し訳ありません。ですが、貴明さんのお料理する音を聞いていると、思わず。それに、お手伝いできることがきっとあるだろうと思いましたし」
私がそう言うと、貴明さんは困ったように苦笑を浮かべて。
実際キッチンは、惨状と言うほどではありませんでしたが、切ったキャベツの欠片が周囲に散らかっていたり、フライパンからこぼれたメンが、床に落ちていたり。
「それじゃあ、片付けの方は私がやりますね」
「えっと、ごめん」
貴明さんが作っていたのは焼きソバでした。周囲が片付く頃には、料理も終わって。
ただ驚いてしまったのは。確かに私や瑠璃様が作るよりは、野菜の大きさもバラバラで、炒め方にもむらがありましたが。それでもそれはちゃんと焼きソバで。
「だから言っただろ。俺だって自分の夕飯くらいは何とかなるって」
そういいながらもどこか照れくさそうなのは、私が手伝ってしまったからでしょうか。
「そうですね。貴明さん、お料理がお上手なんですね」
「いや、イルファさんにそんなこと言われるほどじゃ、無いと思うんだけど」
「いえ。きちんと作ってありますし。実は、貴明さんがちゃんとお料理できるなんて知らなくて。作るとおっしゃっても、冷凍食品か何かだとばっかり」
「少しは俺のこと、見直してくれた?」
「はい、それはもう」
私がそう言うと、貴明さん、嬉しそうに笑顔を見せてくださって。
「それじゃあさ、イルファさん」
「はい?」
「次は、味見をしてみてくれないかな。けっこう、上手くいったと思っているんだけど」
貴明さんはそうおっしゃると、箸を持って焼きソバをひとつまみすると。
「イルファさん。はい、あーん」
貴明さんの作ったお料理は、味のわからない私でも、貴明さんの作ってくださった味がして。
終