クマ吉と一緒に


タマ姉はあいかわらずだな」


 底力を見せろって言われたって、俺にそんな物があるのかどうかだってわからない。


「その時が来たら、できるだけ考えることにするよ」


 ったく、いつもタマ姉は言いたいことを言ってくれるよな。
 俺は苦笑すると、タマ姉の言葉を聞き流すことにした。
 なんだか残念そうなタマ姉の表情だけが、すこしだけ気になったけど。




 4月。
 新しい季節を迎えて、俺の周囲も少しだけ、いや、大分賑やかになった。
 このみが俺と同じ場所に通うようになったし、そこには去年までいなかった、タマ姉まで一緒にいる。
 これから一年、大変だけど、楽しい生活を送れるんじゃないかって言う期待もわいてくる。
 けれど、じゃあ、それが終わった後、俺は一体どうなってしまうんだろう?
 雄二あたりに言わせて見れば、「不安で退屈な日常を吹き飛ばす秘訣、それはな、ギャルとメイドとメイドロボだ」なんて答えが返ってきそうだけど。
 そう言うのは、なにかが違う気がする。
 それに、あいつが出会いたがっているようなドラマチックな出来事なんて、そうそう起きるわけが無い。
 そうそう普段の生活で起きるはずが無いから、みんな映画や小説をみるんだし。
 ・・・・・・と、さっきまで思っていたんだけど。


「く、クマ?」


 目の前を、クマのぬいぐるみがテッテッテッテッと一人で歩いていく。
 ちなみにここは放課後の、人気の無い学校の廊下で、周囲には俺以外の人間はいない。
 当然、そのクマのぬいぐるみを動かしているような人影だって、ない。


「ドラマチックといえば、ドラマチックかもしれないけど・・・・・・」


 無人の校舎をひとりで歩くクマのぬいぐるみじゃ、ホラードラマだよなぁ。
 これじゃ、雄二と言うよりも笹森さんの領域だ。
 そのクマのコミカルな歩き方(走り方?)のおかげで、恐怖心はさっぱり湧いてこないけど。
 それでも異様な光景であることは間違いはなくて、廊下の向こうに歩いて行くクマのぬいぐるみを呆然と目で追っていると。


「あっ」


 転んだ。
 しかも起き上がることができないのか、廊下に倒れたままジタバタともがいている。
 たとえそれが未確認ぬいぐるみ物体の類だとしても、ああも派手に慌てている様子を目の前にして無視を決め込んだんじゃ後味が悪い。近寄って、立たせてやる。


「あ、なんだ。これ、ロボットのおもちゃじゃないか」


 立たせるのに持ち上げたんでわかったけど、このクマ、ただのぬいぐるみじゃなくてクマのロボット、トイロボットなんだ。それならひとりで歩いていたのも頷ける。なんで学校にそんな物があるのかは知らないけど。
 そのクマのロボットは、最初俺につかまれてビックリしていたようだったけど、俺が廊下に立たせてやったことがわかるとペコリとお辞儀をした。
 いや、このごろのおもちゃは良くできてる。さっきの歩き方もそうだけど、動作の一つ一つがとても滑らかで、人間くさい。メイドロボっていうのも、これくらいスムーズに動くんだろうか。


「いや、そんなお礼を言われるようなことじゃないって。困っているやつを助けるのは当然だろ?」


 あんまり自然にお辞儀をしてくるものだから、ついつられてそんなことを言ってしまった。いや、本当に言いたくなるくらい人間っぽい仕草なんだって。
 するとそのクマのぬいぐるみは、照れてしまったのか後ろを向いてしまう。
 本当に良くできてるなぁ。
 と、ついムラムラと知的好奇心が湧いてきてしまった。一体どういう構造をしていれば、こんな人間くさい動きが可能になるんだろう。やっぱりプログラムなんだろうか。
 もう一度持ち上げると、俺の手の中で“クマ吉(仮名)”が今度はバタバタと暴れだす。おお、こんな動きまで可能だとは。やるな、クマ吉。
 別にクマ吉が凄いんじゃなくて、このクマのロボットを作ったやつが凄いんだろうけど、なんとなく感心してしまう。
 ぱっと見はただのクマのぬいぐるみだけど、やっぱりどこかにスイッチがあったりするんだろうか。定番はやっぱりお腹のあたりか? ボディの前面をあちこち押してみたり摘んでみたりするけど、それっぽい物は見つからない。
 と思ったけど、あれ、なんだかクマ吉の動きが緩慢になってきたな。やっぱり何かスイッチでも押しちゃったのかな。
 そう思って頭や、背中を眺め回して、最後にひっくり返そうとした。
 だけど・・・・・・


「え?」


 いままでぐったりとした様子だったクマ吉が急に動き出して、ひょいっと俺の腕に抱きつくような格好をしたかと思うと、指先に激痛が走った。


「いったぁーっ!?」


 もう後は声にならない。ただただ、その激痛にパニック状態に陥って、ブンブンと腕を振り回すしかできない。
 必死に振りほどこうとするんだけど、クマ吉はよほどしっかりとしがみついているのかちょっとやそっと腕を振ったくらいじゃびくともしてくれない。


「あー、こんなとこにおった〜」


 と、一人でパニックを起こしている俺の後ろから、ずいぶんと場違いっぽいような、女の子の声が聞こえてきた。クマ吉のヤツもその声に気が付いたのか、ようやく俺の指から口を離してくれる。


「みっちゃん、乱暴はあかんていつも言われてるやろ。一体なにしてたん?」


 クマ吉に齧られていた指先を、あわてて自分の口にくわえる。血が出てなきゃいいけど、って言うくらい痛かった。
 そんな俺の様子に、怒ったように後ろを振り向くクマ吉。トテトテとその女の子の足元に走り寄っていってしまう。


「あ、そのクマのロボット、君の?」


 クマ吉を抱きかかえる女の子に、思わず聞いてしまった。いや、別に何をどうしようというつもりは無いけれど、ちょっとだけ、この子の家ではどういったロボットの教育をしているのだか問いただしたくなってしまう。


「ロボットって、みっちゃんのこと?」


 そう言って、きょとんとした表情をかえしてくる女の子。
 う、ま、まずい。よく見ればこの子、ずいぶんと可愛らしい顔をしている。今までは齧られた指が痛くて気付いていなかったけど、いつの間にか、女の子にこんなに近寄って、やばい、顔が熱くなってきた。


「みっちゃんはロボットやない。うちの友達や〜☆」


「と、友達?」


 そしてバンザーイをする女の子。その隙に距離をとると、少しだけ落ち着いた。
 しかし、クマのロボットを、友達? まあ、ボールが友達だったり、愛と勇気だけが友達のヤツもいるくらいだから、クマのロボットが友達でもおかしくはないだろうけど。


「でもにいちゃん、一体みっちゃんに何したん? みっちゃんはちょっとだけ短気やけど、訳もないのにイジメする子ちゃうよ」


 え、何をしたと聞かれても、俺、何かしたっけ?
 俺がしたことといえばクマ吉(みっちゃん?)を眺めてたくらいだし。そのことで女の子が怒るって言うのならわかるけど、この子の言い方だと、まるでそのみっちゃんが怒っているようだし。
 身振り手振りを使って何かを説明しようとしているクマ吉を、女の子はフンフンと頷きながら聞いている。
 いや、やっぱり良くできてるなー。
 そしてクマ吉の動きが止まり、説明を聞き終えると、女の子は俺に向かい合ってぺチンと、俺のほっぺたを叩く。


「え、えっ?」


 軽く触れられただけで、痛くはないけれど、女の子にムーっと睨まれた俺は大混乱だ。
 もしかして俺、この子に怒られてる!?


「にいちゃん、女の子のお股のぞくなんてカッコわるいで。そんなん、ヘンタイさんのすることや」


「えええーっ!?」


 いつ!? どこで!? 誰の!?
 急に突きつけられた言葉に気が動転していると、女の子は被害者をひょいと持ち上げて、俺の鼻先に突きつけた。


「にいちゃん、ごめんなさいは?」


「え?」


 俺の目の前では、クマ吉が腕を組んで俺のことを見つめている。いや、このクマ吉から漂う雰囲気は、もしかして凄く睨んでる?


「お、女の子って・・・・・・」


 まさか


「クマ吉、女の子だったのーっ!?」


 すると、俺の叫びでまた“乙女心”が傷ついたのか、クマ吉(クマ子?)がジタバタと女の子の手の中で暴れだす。
 でも、女の子だっていうのなら、あのポーズはまずかったよなぁ。ひっくり返して、股のあいだを覗いちゃったんだから・・・・・・


「それにみっちゃん、にいちゃんにはおっぱいまで触られたー言うてる」


 たしかに、スイッチ探そうとしてあちこち触っちゃったからなぁ。
 今ならクマ吉が腕を組んでいるんじゃなくて、胸を隠そうとしているのがわかる。


「にいちゃん、ごめんなさい。きちんと謝ったって」


「あ、えっと・・・・・・」


 もうここまではっきりと言われたんじゃ、言い訳なんていう気にもならない。
 表情は変わらないけど、クマ吉が今、プログラムなんかじゃなくて、本気で怒っている。そのことをわからないはずがない。
 だから・・・・・・


「ご、ごめん、クマき、じゃなくて。えと、みっちゃん?」


 クマ吉に対して、素直に頭を下げる。
 ぬいぐるみに謝るなんて、はたから見ればこっけいでしかなかったけど、でもそうしないと、絶対に後悔することになると思った。


「気が付かなかったからって、女の子にいろいろとひどいことして、傷つけちゃって。本当に、ごめん」


 そしてもう一度、一生懸命に頭を下げる。下げて許してもらえるようなことじゃないけど、俺じゃ、そうやってお詫びをすることくらいしかできないから。
 すると、クマ吉はポンポンと下げた俺の頭を叩いた。
 視線だけを上げてみると、今度はクマ吉のほうが大慌てで腕を振っていた。
 まるで「こっちが恥ずかしい」って言っているみたいに。
 俺が頭を上げると、恥ずかしがって横を向いてしまう。それでも視線だけは時々俺のことをみてくれて。
 なんとなく、だけど、これって「許してやる」ってことなのかな。
 俺が「ありがとう」っていって頭を下げると、また慌てた様子で腕を振ってくれた。





 その後、クマ吉は女の子に連れられて帰っていってしまった。
 聞けば、本当はコンピューター室にいたはずなのに、退屈して校舎の中を歩き回っていたらしい。
 そのことで女の子に叱られるクマ吉をからかってやると、俺の頭の上に上って、そこで暴れだした。
 これは、あれだな、照れ隠しってやつだ。やっぱりクマ吉、女の子なんだな。
 ひどいことをしちゃって、でも仲直りをすることができて。最後、女の子に抱かれていってしまう時も、廊下の角を曲がるまで、最後まで女の子の肩の向こうから手を振ってくれた。
 俺も負けじと、クマ吉の姿が見えなくなるまで手を振ってやる。
 クマ吉と女の子、2人がいなくなってまた人気のなくなった放課後の廊下。
 でも気分は、不思議と良くて。さっきまでのモヤモヤした気持ちが全部なくなってくれていた。
 多分、きっと、こんな出会いが待っていてくれるんだと思う。


「こういうのもきっと、ドラマチックな出会い、っていうんだろうな」


 それは感想や予感なんかじゃなくて──




   終