クマ吉と一緒にNo.4


「ちょっとタカ坊、このあいだは一体どうしちゃったのよ」


 朝、いつものように坂の下で挨拶をすると、なぜかタマ姉はそんなことを聞いてきた。


「この間、って?」


 まずい、身に覚えが全く無い。知らないうちに俺、なにかやってたか?


「この間のお昼休みよ。一緒にお昼にしようって誘ったのに、急に走って行っちゃうんだもの」


 ああ、あの時のことか。


「もう、タカくん。わたしたちお腹ぺこぺこになりながらずーっと待ってたんだよ」


「ごめん、ちょっと、絶対にやらなくちゃいけないことがあってさ」


 あそこでもしクマ吉を追いかけていなかったら。きっと俺はもう、二度と、クマ吉に会うことができなくなっていたんじゃないか。
 あの時はクマ吉を追いかけるのに必死で、ただ、泣いてるあいつを一人ぼっちにはさせちゃいけないって気持ちだけで、そんなことまで考える余裕なんて無かったけれど。たぶんあの時は、そういう時だったんだと思う。
 おかげであいつにお礼のキスまで・・・・・・そういえば俺、クマ吉とキスしたんだよなぁ。


「ちょっとタカ坊。顔がにやけてるわよ」


 タマ姉の指摘に、慌てて手を顔にあてる。
 俺、そんな顔してた?


「・・・・・・もしかして、彼女でもできた? あーあ、タカ坊は私たちのことよりも、その新しくできた彼女の方が大切なんだ」


「ち、違うって。俺とあいつはそんなんじゃ──」


「あいつ? って、タカ坊。まさか本当に」


 墓穴を掘った。
 こんな言い方したんじゃ、タマ姉の興味を引かない訳がないじゃないか。それどころか、雄二やこのみまで興味津々で俺のことを見ている。
 だから、本当に俺とクマ吉はそんな関係じゃ──


「やっぱりお前、PC教室の女の子とできてやがったんだな!? あの熊のロボットだってその子からのプレゼントなんだろチクショー、少しでもお前のことを同情した俺が馬鹿だった!!」


「熊のロボットって、あの時頭の上に乗ってたクマ吉とか言う? タカ坊、それ本当なの!?」


 ・・・・・・じゃあ、俺とクマ吉の関係って、一体なんなんだ?
 確かにあいつと一緒にいると楽しくなる。ちょっと強引で乱暴なところはあるけど、それだってあいつの良い所の一つだ。
 少し前までだったら、仲の良い友だちだって胸を張っていえたと思う。でも、今はどうなんだろう? あいつと俺は、友だちなんだって言ってしまって、それで俺は後悔しないでいられるんだろうか。
 そもそもロボット相手に、しかも熊のぬいぐるみにこんなことを考えること自体がおかしなことなんだとは思う。
 でも、あいつには確かに心があって。
 俺は、あいつの心にどうやって応えてやりたいと思っているんだろう。
 3人がしてくる質問にも上の空で返事をしながら、俺は坂を登っていく。
 今朝は、校門のところにクマ吉はいなかった。



 
「お邪魔します・・・・・・」


 恐る恐るコンピューター室の扉をくぐる。
 いつ、どの方向からクマ吉に襲撃されてもいいように警戒は怠らない。右を見て、左を見てとみせかけて上かっ!
 ・・・・・・てっきり扉を開けたとたん飛びついてくるかと思ったのに、いつまでたってもクマ吉の体が降ってくることはない。朝、昼と襲い掛かってこなかった分、放課後には間違いなく跳びかかってくると思っていたんだけど。油断させて後で襲い掛かる作戦だろうか。
 放課後、俺はこの間の約束通りクマ吉に会いにコンピューター室にやってきた。
 朝あんなことを考えてしまって、正直顔をあわせるのは少し気恥ずかしいものもあるけど。でも約束は約束だ。それにやっぱり、俺はクマ吉に会うことが楽しみになっている。


「だれ〜? 瑠璃ちゃん?」


 そんなわけで、コンピューター室の入り口のところでキョロキョロとしていると中から声を掛けられた。


「ん? にいちゃん誰〜?」


 イスから立ち上がったのは、頭にお団子を二つ作った女の子。
 この間、クマ吉の尻尾を直してくれた子だ。そうか、クマ吉の持ち主なんだから、いて当然だよな。


「えっと、クマ吉のやつ、いる?」


「クマ吉?」


 あ、クマ吉じゃなくて。


「みっちゃん。みっちゃん、今いる?」


「みっちゃん? あ、にいちゃん、この間みっちゃんのお股のぞいてたひとやー」


 な、なんでよりにもよってそっちで覚えていますか!? もっと他に覚え方あるでしょ、クマ吉に尻尾返しに来たとか、クマ吉のお尻見てた・・・・・・こっちはあんまり変わらないな。


「んー、悪いけど、みっちゃん、もうここにはおらんねん」


 いない!? 何で!?


「にいちゃんが会ったみっちゃん、あれ、本当のみっちゃんやないねん」


 そう言って女の子は、机の上に置いてあったクマのぬいぐるみを持ち上げる。
 あ、クマ吉・・・・・・
 けどそのクマ吉は、いつもみたいに元気に動き出すこともないし、俺に向かっていろいろと話しかけてくれることもない。第一、そのクマ吉からはあれだけしっかりと伝わってきた、クマ吉の心を感じることができなかった。
 本当に、ただのクマのぬいぐるみだ。


「これ、みっちゃんの仮ボディだったんや。本物のみっちゃんは研究所におって、そこから無線使ってこのぬいぐるみ動かしてた」


 じゃ、じゃあ、クマ吉は。


「うん。記憶も思いでも、もうここには入っとらんよ。だから、みっちゃんここには居らんねん」


「そ、そんな。だってあいつ、そんな、いなくなるなんて一言も言って・・・・・・


「本当はもうちょっとだけ、この体使うはずやったんだけど。みっちゃん、なんでかわからんけど急に、いやがり始めて」


 目の前が真っ暗になったような気がした。
 嫌がった? この間のこと、そんなにショックだったのか? 俺にさようならも言わないで居なくなってしまうくらい。
 せっかく仲直りできて、これから、これからまたお前と一緒にいられると思ったばかりなのに。


「なあ、にいちゃん、みっちゃんの友だちだったん?」


 呆然と立ち尽くしてしまっている俺の顔を、女の子が見上げている。


「友だち?」


「そう、友だち。にいちゃん、みっちゃんの友だちやったから、だからみっちゃんに会えんようになって、そんなに悲しそうにしてるん?」


 友だち・・・・・・どうなんだろう。やっぱり俺は、クマ吉と友だちなんだろうか? 
 ちがう、きっと、たぶん


「いや、友達なんてもんじゃないよ。友だちよりも、ずっと友だちさ」


 一緒に昼ご飯を食べたり、同じに階段を転げ落ちてみたり。キスまでしちゃったんだ。ともだちなんてもんじゃないよ。
 まだはっきりとした答えなんかわからないけれど、きっとそれが、今の俺の正直な気持ちなんだ。俺は、クマ吉と友だちよりももっと近づきたい。そう思っているんだと思う。


「ふーん。なあ、にいちゃん、ちょっと待っとってくれる?」


 女の子はそう言うと、俺の返答も待たないでコンピューター室を出て行ってしまった。
 一人だけ、俺は取り残されてしまう。
 出て行ってしまった女の子を待つ間、他にすることもなくて、俺はクマ吉だったぬいぐるみを抱き上げた。


「なあ、クマ吉。何でお前、いきなりいなくなっちゃったんだよ。俺のこと嫌いになったならそれでも構わないけど、でも最後にさよならくらい言わせてくれたっていいじゃないか」


 返事が返ってこないのはわかっていても、どうしてもそう聞いてしまう。


「俺、もう本当にお前に会えないのか?」


 どうしても我慢ができなくて、そう呟いた。初めて会ったときのように、クマ吉の体を持ち上げる。
 その時だった。


「えっ?」


 今までただのぬいぐるみだったクマ吉が、急にもぞりと動いた。
 まるで人間の瞳の焦点が合うように、俺の顔を見て。


「いってぇーっ!」


 カブリと俺の指を噛んだ。
 慌てて指を振ると、口を離しひらりと机の上に跳び移るクマ吉。


「なっ、なっ!?」


 どうも机の上から俺のことを睨みつけるクマ吉は、大変ご立腹のご様子だ。


「え、俺がまたエッチなことをした? 股を、覗いてた?」


 そういえば、さっきの構図はクマ吉の股を見ていたように見えなくもない。


「ご、誤解だってクマ吉。俺がそんなことをするはずないだろ!」


 あ、こいつ全く信用してない。そりゃ、前科があるのは認めるけど、だからって問答無用で疑うこともないだろ。
 腰に手をあて、俺に怒るクマ吉。
 それは、本当に、いつもの俺の知っているクマ吉で。


「クマ吉・・・・・・」


 気が付いた時には、クマ吉のことを抱き上げていた。


「本当にお前、クマ吉なんだな? もうここには居ないって、記憶も、思いでも居なくなったって聞いて、俺、もうお前に会えなくなったのかと思って」


 最初は暴れていたクマ吉だったけど、だんだんと黙って話を聞いてくれるようになった。


「ばかやろう、いなくなるんだったら、最後にお別れぐらい言わせてくれよ」


 もう最後には、俺は泣きながら喋ってたと思う。でもその時は、それが恥ずかしいなんて全く感じていなかった。
 俺がそこまで言うと、クマ吉は俺の手の中から、右の肩に乗り移っていく。そして、まるで俺の頭を撫でるように抱きしめてくれた。


「え、ごめん、だって? ばか、そう言うことじゃ、え? お別れじゃない? ほんのちょっとだけ、会えなくなるだけ? クマ吉っ!?」


 慌ててクマ吉の方を向こうとするけど、クマ吉にそれを止められた。


「ああ、待ってる、待ってるよ。うん、また一緒に、昼御飯食べようぜ。またパン買って、屋上で、一緒に」


 クマ吉の体が、俺の頭から離れる。
 ようやくクマ吉のことを見ることができた。
 俺の肩の上に座るクマ吉は、じっと、俺のことを見つめている。


「じゃ、ほんの少しだけの、お別れだな。え、浮気するなって? しないってば」


 クマ吉の顔が、だんだんと近づいてきた。
 人間の唇とは、全く違う感触。
 でも間違いなくこれは、俺とクマ吉のキス。





 クマ吉とお別れして、何日かがたった。
 クマ吉はすぐ戻ってくるって言っていたけど、あれ以来まったく音沙汰がない。何度かコンピューター室に行って、あの女の子に聞いてみようと思ったこともあったけど。
 でも、あいつがすぐ戻ってくるって約束してくれたんだ。それくらい、しっかりと待っていてやろうと思う。


「けど、早くお前に会いたいよ」


 つい、そう呟いてしまう。
 しかしいくらなんでもボーっとし過ぎていたようだ。向かいを歩いている人に気が付かないで、うっかりと腕をぶつけてしまった。


「あっ」


 気が付いた時には、向こうの人が持っていた買い物籠は地面に落ちてしまっていた。既に買い物帰りだったんだろう。けっこう重そうな音がした。


「す、すいません、考え事しちゃってて」


 慌てて頭を下げたところでようやく気が付いた。向こうの女の人、いや、正しくは人じゃない。耳に付いた奇妙な器具、一見、コスプレにも見える近未来的な服装。メイドロボだ。


「本当にすいませんでした。あの、怪我、なかったですか」


 しかしたとえ相手がメイドロボでも、今のはボケっとしていたこっちが悪い。落ちた買い物籠を拾うと、うわ、タマゴとか、割れちゃってるよ。


「いえ、こちらこそ申し訳ありませんでした。あ、タマゴのことはお気になさらないでください、ぶつかってしまったのはこちらも不注意でしたし」


「でも、悪いのはこっちです。だから弁償させてください」


「ですがそんなことまでしていただいたら、申し訳がありません。弁償なんてなさらなくても結構ですから」


「だったら、せめてその荷物持たせてもらえませんか。どちらにしてももう一回買いなおさなきゃいけないと思うし」


 だったらせめて、と思っておれがそう言うと、メイドロボの彼女は面をくらってしまったようだ。


「けれど、私メイドロボですよ? メイドロボが人間の方にお手伝いいただいたのでは」


「いえ、男が女の子を助けるのは当然ですから」


 少し前に、どこかで似たようなことを言った気がする。それに、ちょっと言い方がキザだったか。
 目の前のメイドロボの女の人は、俺の言ったことに少し顔を赤くしてしまう。
 う、他に、もっとマシな言い方をしたほうが良かったか。でも助けなきゃと思ったのは本当だし。
 けれど彼女は優しく微笑んで。


「それでは、申し訳ありませんがお願いしてよろしいでしょうか。実はこの後、他に買い物をしなければならなくて困っていたところだったんです」


 その後スーパーに引き返してタマゴを買いなおす。そしてドラッグストアによると、今日は特売日だったらしい。ティッシュと、細々とした雑貨を買って店から出た。重たくはないけど、確かに一人でこれだけの荷物を持つのはかさばって大変だ。
 もう大丈夫だという彼女を、せっかくだからといって荷物を持って歩く俺。
 最初は申し訳無さそうにしていたけれど、俺の決意が固いとわかってくれたのか笑顔で頷いてくれた。
 いや、メイドロボってもうちょっと固いイメージを持ってたけど、この人を見てると全然そんな気がしない。ほとんど人間と一緒だ。耳飾さえなければ、メイドロボだって言うことのほうが信じられなくなる。
 そこで、なんでか、やっぱりロボットらしくなかったロボット・・・・・・クマ吉のことを思い出してしまった。


「何か、お悩みのことでもあるのですか?」


 商店街からでて、彼女の家に向かう途中。彼女が不意にそんなことを聞いてきた。


「悩み、ですか?」


「はい。先ほどから度々、思い悩んだような表情をなさっていましたから。あ、余計なことでしたら、申し訳ありませんでした。ただ、気になったものですから」


 そんな、はじめて会ったメイドロボにまでわかるほど、今の俺は落ち込んでいたらしい。
 こんなことじゃ、本当にクマ吉に会えたときに笑われてしまう。そう思うと口元に苦笑が浮かんできてしまった。


「えっと、そんなたいした悩みじゃないんですけど・・・・・・実は、約束してまして」


「約束、ですか?」


「はい。ロボットの女の子と。あ、ロボットって言っても、あなたみたいなメイドロボじゃなくって、本当にただのおもちゃのロボットなんですけど。そいつと、この間約束したんです、また会おうって。・・・・・・ほんのちょっとだけ、会えないのを我慢してればいいのはわかってるんですけど・・・・・・それでも、やっぱり、早く、会いたいな」


 最後の言葉は、ほとんど彼女に聞かせるというより、自分に言っているみたいだった。
 それを聞いていた彼女は、メイドロボにこんな優しい表情ができるのかってくらい、優しい笑顔を浮かべてくれた。


「そのロボットの女の子は、本当に幸せ者ですね。あなたにこんなにも想われているんですから」


 駅前に着くと、彼女はもうここでいいと俺の持っていた荷物を受け取った。
 本当は最後まで手伝うつもりだったんだけど「はじめて会った女性の家にいきなり訪ねるのは、マナー違反ですよ」と言われてしまっては従わざるをえない。
 お礼を言って立ち去っていく彼女に、俺も話を聞いてくれたお礼を言って別れた。彼女の歩いていく先には、顔はわからなかったけど、彼女のことを迎えにきていた女の子が2人。遠目にも3人は、とても仲が良さそうに帰っていく。
 俺も、クマ吉とまた、あんなふうに一緒に歩くことができるんだろうか。そう思いながら駅を後にする。クマ吉と、また会えることを楽しみに待ちながら。






 ピンポーン


 休日の朝、俺がリビングでごろごろしているとインターホンが鳴った。


 ピンポーン


「はいはい、今行きまーす」


 宅配便か何かかな。
 そう思って玄関の覗き穴から外を覗いてみると・・・・・・


 慌てて扉を開ける。


 まず目に飛び込んできたのは、あいつらしい明るい、赤い色の髪。
 それと


「く、クマ吉か?」


 声が震える。
 嬉し涙で目が霞む。
 目の前のこいつは、クマのぬいぐるみだった時と同じように、一生懸命、元気な眼差しで俺のことを見てくれている。
 そして、俺の想っていた通りの笑顔を浮かべて


「ただいま──





   終


このSSは、以前ToHeart2SS専用スレに投稿した物に、加筆修正を加えた物です。