(注意)これは、ToHeat2AnotherDays発売前に発表した作品になります。
(注意2)俺もミルファというかAD自体、あそこまではっちゃけた作りしてるとは思わなかったよ。




「なーなー貴明。楽しみにしとってなー☆」


「え、何を?」


「内緒や☆」


 昨日の夜から、珊瑚ちゃんの様子がどこかおかしい。今朝だって瑠璃ちゃんに起こされる前から自分で起きてたし。
 今だってどういうことなのかいくら聞いても教えてくれないし。
 瑠璃ちゃんの方を向くと、「知らん」とばかりに肩をすくめられてしまった。


「さあさあ、早く学校に行かないと遅刻してしまいますよ」


 珊瑚ちゃんの様子に首をかしげながらも、イルファさんに促されて慌てて学校に行く準備を進める。でも本当に、珊瑚ちゃんどうしちゃったんだろう?
 まあ、楽しそうにしてるから悪いことじゃないんだろうけど。


「それじゃあ行ってきます、イルファさん」


「はい、いってらっしゃいませ」


 イルファさんと行ってきますのちゅー。ちょっとだけ、鼻と鼻の先が触れてくすぐったい。
 先に行った珊瑚ちゃんと瑠璃ちゃんを追いかけようとすると、後ろからイルファさんに呼び止められた。


「何か忘れ物でもあった?」


「いえ。貴明さん。ずぅっと、私たちのこと愛してくださいましね。貴明さんには責任をとっていただかなくてはならないんですから」


「え、あ、うん、もちろん。イルファさんも、珊瑚ちゃんも瑠璃ちゃんも、俺はずっと大好きでい続けるさ」


 イルファさんは満足そうに微笑むと、ようやく俺を送り出してくれた。
 なんだったんだろうなぁ。
 イルファさんの様子までなんかおかしい。珊瑚ちゃんと一緒に、また何かたくらんでなければいいんだけど。





「ほう、それでお前はこう言いたい訳だな。『ボク、女の子に囲まれて困っちゃうんです』チクショー! いつもいつもなんでお前ばっかり美味しい思いをしなきゃならんのだ。地獄に落ちてしまえ」


 朝、いつもの教室でまた雄二が一人で叫んでいる。
 珊瑚ちゃんや瑠璃ちゃんの様子がおかしかったっていう話をしただけなのに。完全に話をする相手を間違えた。
 でもこのみに相談してもあんまり意味は無さそうだし、タマ姉に話すとまた何を言われるかわかった物じゃないしなぁ。


「『ゆうべはお楽しみでしたね』か!? 珊瑚ちゃん瑠璃ちゃんだけでも許せんのにメイドロボまで手を出しやがって。どこの勇者ご一行様だお前は」


 雄二もその内疲れて黙るだろう。
 まあ、いつものことだ。


「ほら、チャイム鳴ってるぞ。席に着けー」


 教室に入ってきた先生に促されて、騒がしかったクラスも落ち着きを取り戻す。
 雄二は・・・・・・こういう時は素早いな。もう席についてる。


「えー、突然だが、今日は転校生の紹介をする」


 唐突に、先生がそう言った。
 一瞬何のことがわからなかったんだけれど、俺がその意味を理解する頃には、せっかく静かになった教室がまた再び騒がしくなってしまっていた。


「ほらほら、静かにしろ。家の都合で急に転校が決まったそうだ。慣れない生活で大変だとおもうから、皆、仲良くしてやるように。入ってきなさい」


 先生が促すと、教室の扉が開いた。
 クラス中が固唾を呑んで扉に注目する。男か、女か、可愛いのか。
 そう言う俺も、十分に興味津々で入り口を眺めていたんだけど。
 最初に見えたのは、足でも、腕でもなくて、制服の胸のところに付いたリボンだった。
 途端、教室が水を打ったように静まり返る。
 誰も一言も口を利かない教室の中を、その子はゆっくりと教壇の前まで歩いていった。
 黒板に大きく名前を書いて。
 なんだか豪快な書き方をするなぁ。黒板の上から下まで、見間違えることの無いくらい大きな名前が書き込まれている。
 ・・・・・・ん?


「“河野 はるみ”と言います。まだ引越ししたてで慣れないことも多いですが、どうかみんな、よろしくね」


 そう言って、ぺこりと頭を下げた。


「「おおおおお」」


 男女を問わず、教室中から上がる感嘆の声。
 理由は簡単で。


「あれは姉貴か、久寿川会長にも匹敵するな」


 という雄二の呟きが、この時のクラスの気持ちを最もよく現していたんじゃないだろうか。
 お陰で、彼女の苗字についてはそれほど注目を浴びていない。転校生が俺と同じ苗字だなんて、変な気分だな。


「それじゃあ河野は、一番後ろの、あそこの空いている席に座りなさい」


「はい、先生」


 河野さんはうなずくと、こちらに向かって歩いて来た。
 いや、俺のところに来ているんじゃなくて、ただ単にそこの席に行くには俺の横を通るってだけなんだけど。
 定番の「趣味は?」だとか「どこに住んでるんですかー?」だとか転校生にかけられる質問を軽くかわしながら、まあ、これだけ可愛い転校生なら、雄二だけでなく他の連中が盛り上がるのもわかる気がする。
 横の席の子がした質問に笑顔で答える河野さんを見て、転校生っていうのも大変だなぁなんて他人事のように・・・・・・河野さんの顔、どっかで見覚えがあるような。
 どこで、だったかなぁ。つい最近、見てるような気がするんだけれど。
 そう考え込んでいると、いつの間にか河野さんが俺の席の横まで来ていた。


「ねえ、どうかしたの?」


「え?」


 まさか声を掛けられるとは思っていなくて、間の抜けた返事をしてしまう。
 考えてみれば、他のみんなが全員転校生の事を注目している中で、一人だけ首を捻って考え事をしているのは、周囲から浮いていたのかもしれない。


「何か考え事してたみたいだけど。もしかして、私にする質問とか考えてた?」


「あ、そいつもはるみさんと同じで、河野って名前なんですよ。俺? 俺の名前は向坂雄二。ちゃんと覚えておいてくれよ」


 雄二が後ろで何か喋ってるけど、河野さんはずっと俺のことを見たままだ。


「え、あー、いや。あのさ、河野さん、前にどっかで俺と会ったことなかった?」


 うーん、どこかで見たことがあるのは間違いないと思うんだけど。思い出せそうなのに思い出せず、喉に刺さった小骨みたいに気持ちが悪い。
 見れば河野さんは何かに耐えるように両手を握り締めて。
 や、ヤバっ。もしかして怒らせた?
 慌てて顔を上げると。
 そこに、俺に抱きついてきた河野さんの顔があった。


「の、のぅわっ!!」


 な、何? なにごと!?
 教室中に広がる歓声と嬌声と怒号に、俺の叫び声もかき消される。きっとそのうち、隣のクラスから苦情が来ることは間違いないだろうってくらい。


「貴明、てめぇ何してやがる!!」


「みんな、静かに、静かにー!!」


「こ、河野、えぇっ、それから。河野も、何をしている! さっさと離れんか!!」


 雄二も委員長も先生も、転校生の寄行に混乱しているみたいだ。


「く、苦し・・・・・・」


 けれど当の河野さんは一向に俺から離れようとはせず、と言うかよりも一層力いっぱい抱きついてきているような。


「・・・・・・」


「えっ?」


 河野さんが、俺の耳元でなにかをつぶやく。
 すると、まるで抱きついていたのが嘘みたいに俺から離れていった。


「すいませーん。ちょっと立ちくらみがしちゃって。やっぱりまだ、転校の疲れが残っているみたいです」


 まったく悪びれた様子も無く、河野さんはそう言ってのける。
 あっけにとられて、だれも何も言うことの無い教室の中を、河野さんは悠々とさっき指定された自分の席に歩いていく。
 何かを思い出すかのようにする先生の咳払いだけが、空しくあたりに響き渡った。


「そ、それでは、全員仲良くしてやるようにな。委員長、号令」


「は、はひっ」


 慌てて立ち上がる小牧さん。
 皆も、なんとなく釈然としない物を感じながらも立ち上がる。
 俺もほとんど呆然としたまま委員長の号令に従って席を立つ。抱きしめられた時に感じた河野さんの体温が、妙に頬の辺りに残ってる。
 本当に、立ちくらみしただけなんだろうか? 今、河野さんがどんな表情をしているのか、確認できないのが悔しい。


『貴明、私、帰ってきたよ』


 それに、あの時。河野さんが俺から離れる時、耳元で囁いたあの言葉。
 気のせい、じゃあないと思うんだけど。
 本当に謎だ。
 もちろん、一限の授業に集中なんて、全くすることができなかった。





「走れー!!」


 俺が打ち上げた弾を、向こうのチームのセンターが必死になって走って、キャッチしようとする。
 上がる歓声。その努力は報われたみたいで、俺は一塁にたどり着く前にベンチの方に引っ込んだ。


「よ、お疲れさん」


 グラウンド脇のベンチでは、妙に張り切って素振りをする雄二がいた。


「ここで活躍して『きゃー雄二さん、素敵ー☆』とか言ってもらわないとな。転校初日の印象っていうのは大切だと思うんだよ」


 聞いてもいないのに、大真面目で解説をする雄二。
 雄二だけじゃない。クラス中の男子が、体育の授業とは思えないくらい張り切ってしまっている。
 みんな、少しでもあの転校生に良いところを見せたいとでも思っているんだろう。


「ああ、そうか。頑張れよ」


「ハン。彼女のいる奴の余裕のつもりか貴明。だがな見ていろ。はるみちゃんのハートは俺がゲットしてやるからな。後で吠え面かいて悔しがるがいい!!」


「いや、だから悔しがるも何も。それに、その、俺には珊瑚ちゃんたちがいるし」


「かぁーっっっ!! 聞きましたか奥さん今の貴明君のセリフを。朝いきなり転校してきたばかりの女の子を押し倒した奴のセリフとは思えませんな! 双子、メイドロボと来て次は転校生にまで手を出す気か? この──ケダモノめっ!!」


 雄二の素振りをする速度が更に上がる。
 雄二の中では、朝のあの出来事は俺が河野さんを押し倒したことになっているらしい。
 そういえば、グラウンドのあちこちから殺気のこもった視線が俺のことを見ているような。
 いくら河野さんが立ちくらみだって説明したところで、彼女が俺に抱きついてきたことは確かだし。今日から、月のない夜は後ろに注意することにしよう。いや、むしろ瑠璃ちゃんやイルファさんの耳に、このことが入らないことを祈った方が良いか。
 万一二人にこのことが知られたら。
 ご飯抜きくらいじゃ済まないよなぁ、やっぱり。
 でも


「私、帰ってきたよ、かぁ」


 やっぱり、どこかで会ったことがあるんだろうか?
 見覚えがあるんだから、間違いなくそうなんだろうなぁ。でも、どこで会ったんだっけ。
 言われたら、すぐに思い出せるような気はするんだけど。
 直接聞いてみようか。
 うん、そうだな。その方が良さそうだ。河野さんは俺のことを知っているみたいだし。ずっとこっちが忘れたままって言うのも、向こうに悪いだろう。
 よし、そうしよう。


「おい、雄二」


「ぜひっ、ハァ、ハァ・・・・・・あー?」


「チェンジだぞ。早く守備に付けよ」


 肩で息をする雄二を置いて、さっさと自分の守備位置に付く。外野、ライト。ピッチャーだのサードだの、目立つポジションは別のやつがさっさと取ってしまっている。
 まあ、楽でいいけどね。体育の授業でなんか、滅多に外野までボールが飛んでくることもないし。
 遠く離れたベースの周囲では、授業の野球とは思えないくらい白熱した試合が展開されているようだ。
 あー、暇だなぁ。
 グラウンドの半分向こう側では、女子がソフトボールをやっている。向こうは向こうでなかなか盛り上がってるみたいだ。
 その中の一人。どうしても河野さんに目がいってしまう。
 今も彼女は内野を守ってたって言うのに、わざわざ外野の方までボールを追いかけていっている。あ、キャッチした。
 盛り上がる女子守備陣たち。河野さんも嬉しそうに、あたりに手を振ったりとったボールを見せ付けたり──
 瞬間、河野さんと目が合ってしまう。
 慌てて顔をそらすと、向こうが恥ずかしそうにしゃがみこむのが見えた。
 うわ、ずっと眺めてたこと、バレたかな。
 きっと今の俺は、顔中真っ赤にしてしまっていることだろう。いくら暇だからって、女の子のこと見てたもんだから罰が当たったか。
 転校してきて初日から、河野さんの俺に対する評価は決まってしまったんじゃないだろうか。最悪だ。


「ライトーっ!!」


 叫ぶ雄二の声に我に返る。慌てて上を見ると、高く上がった球がこっちに向かって真っ直ぐ流れてくる。
 上手く風に乗っているみたいで、いっこうに落ちてくる気配はなく。まずい、このままじゃ頭を越される。女の子に気をとられてバンザイなんて、後でみんなから何を言われるかわかったもんじゃない。
 必死になって後ろに下がる。全力で走らないと、これは間に合いそうにない。見失ってしまわないよう、球だけを見ながら予測落下地点に。


「ライト! 貴明、前! いや、うしろー!!」


 雄二からの掛け声。ええい、こっちはそれどころじゃないって言うのに。後ろ!?


「あ」


「ひゃっ」


 声に釣られて後ろを見ると、目の前に驚いた顔をした女の子がいた。
 さっき目の合ってしまった女の子。河野さんだってわかった時には、ブレーキも掛けず彼女の体にぶつかってしまっていた。


「いててててて」


「うううっ」


 転がる視界。ぶつかると思った瞬間、目の前が真っ暗になった。続いて全身を襲う衝撃。
 しばらくは体も動かせず倒れたままでいると、遠くから俺の名前を呼ぶ声が近づいてきた。
 いや、きっと河野って呼び捨てなのが俺で、河野さんって言うのが河野さんを呼んでいるんだろう。まだ、混乱してるな。あっ


「そうだ、河野さん!?」


 急いで起きようとするんだけれど、何かに体をがっちり押さえられているみたいで立つことができない。顔面に何かを押し付けられているみたいで、今のセリフだってモガモガとしか周りには聞こえていないだろう。


「ひゃ、貴明、だめ、くすぐった──」


 必死になって体をよじる。まずはこの、視界を塞いでいる物をどうにかしなきゃ。
 何とか首を動かしていると、しめた。体を押さえている物の力も弱くなっていった。


「っぷはぁーっ!」


 ようやく、体を起こすことができた。酸欠気味の頭に、大量の酸素が送り込まれていく。


「河野さん、大丈夫!?」


 まず、ぶつかった河野さんに声を掛ける。かなりの勢いで衝突したし、もし怪我をさせていたら。
 けれど、その心配は杞憂で終わってくれたみたいだ。みたところ怪我らしい怪我はしていないみたいだ。彼女の心臓の音だって聞こえそうなくらい近くで確認しているんだから、間違いない。
 そこで、ようやく気が付いた。
 彼女の両足は、今も俺の肩に架かっている。そして俺の目の前に見えるものは、彼女のブルマー
 ちょっとだけ視線を上げると、顔を赤くした河野さんを間近で見ることができた。
 きっと、さっきまで俺のことを押さえつけていたのは彼女のこの、両足だったんだろう。どうりで柔らかいと思った。
 じゃあ、俺が顔を押さえつけていたのは・・・・・・
 もう一度視線を落とすと、河野さんの、柔らかい太ももと太ももの間にある、ブルマー
 もう一度だけ、今度は慌てて視線を上げると、顔を真っ赤にして、今にも何かを叫びそうな河野さんの顔。


「ち、ちが、ゴメン河野さ──


「貴明の、バカー!!」


 握りこぶしが視界を掠めた時には、もう既に首が別の角度を向いていた。コキャッとか、聞こえちゃいけない音も聞こえた気がする。


「ちょっ、やだ、貴明。ごめ、やだ起きてよ貴明ってば」


 誰かにガクガクと体を揺すられている気がするけれど。一瞬で、今度は真っ白になった視界の中で、ひどく落ち着いた気持ちで俺は意識を失っていっ
た。





「ご、ゴメン河野さん!!」


 気が付くと同時に、俺はそう叫んでいた。


「・・・・・・あれ?」


 あたりを見回すと、どうも保健室のベッドの上のようだ。あのあと気絶して、ここに運び込まれたらしい。
 時計は、もう放課後も大分過ぎてしまっていることを教えてくれた。日差しも既に夕暮れの物だ。
 保険の先生は席を外しているのかもう帰ってしまったのか、保健室には人の気配はない。
 ベッドから降りると、少しふらつくのと首が痛いのを除けば、うん、大丈夫そうだ。
 勝手に出て行くのは気が引けるけど、いつまでも寝ているわけにも行かないし。
 制服に着替えて教室に戻る。教室の中には誰も残っていなかったし、もちろん河野さんの姿もない。
 直接謝りたかったんだけど。
 明日、顔を会わせる時のことを考えると、自然と気分が暗くなる。いや、会えるのなら良いけど、下手をするとこれがショックで明日から学校に来なくなるとか、うわー!!
 わざとじゃない、不幸な事故なんだって説明すればわかってもらえるだろうか。でもぶつかったことは事故でも、その後のことは言い訳が聞かないし。
 どうして俺ってばこう女の子に対して破廉恥なことばっかり。珊瑚ちゃんにはちゅーされちゃったし、イルファさんのトイレは覗いちゃうし。
 あれ、他にも何か、やっちゃいけないことをしていたような気がするんだけど。たしかまだ珊瑚ちゃんたちと会ったばかりのころだったような、なんだったっけな?
 PC教室に足を運ぶと、そこには珊瑚ちゃん瑠璃ちゃんの姿はなくて、パソコンの前に書置きが一枚。どうも待ちくたびれて先に帰ってしまったらしい。
 一人でトボトボと、校門をくぐる。ああ、あしたどうやって謝ろうか。


「わっ!!」


「うわっ!?」


 突然、校門の陰から女の子が飛び出してくる。あんまりいきなりだった物だから、本気で心臓がとまるかと思った。
 心臓が、バクバクいっている。


「待ちくたびれちゃった。おそいよー」


 立ちすくむ俺の前で、なぜか河野さんが笑顔で立っていた。


「あれ、河野さん? 帰って、なかったの」


「そんなことよりも、言うことがあるんじゃないのかなぁ?」


「えっ、あっ」


 河野さんは、相変わらず不適な笑顔のまま、俺の目の前で腕を組んだまま動こうとしない。
 その格好が変に河野さんに似合っていて。なんとなく、俺も落ち着きを取り戻すことができた。


「河野さん、ごめん。ぶつかっちゃったのは、俺が前をちゃんと見てなかったからだし、その後の、その、混乱してたからって、河野さんにひどいことしちゃって。謝って許してもらえるようなことじゃないかもしれないけど、とにかく、ゴメン」


 俺が頭を下げるのを、満足そうにうなずきながら見ている河野さん。けれど俺のできることと言えば、こうやって頭を下げて謝るくらいしかできないし。


「ねえ、貴明」


「えっ」


「貴明、私に許して欲しい?」


「も、もちろん」


「ふーん、そうなんだー。でもなぁ」


 楽しそうに俺の顔を覗きこんで、そんなことを言う。


「うーん、どっしよっかなぁ。許してあげないでおこうかなぁ」


 そう言って、後ろを向いてしまう。


「初めてなら許してあげたかもしれないけど、貴明、私のあそこ覗いたの、今回で2回目だしなぁ」


「えっ、いつ!?」


 全くみに覚えのないことを言われ、明らかにうろたえる俺。
 いや、でも、待てよ。本当に覚えが無いか? 似たようなことを、前にやってなかったか? そういえばさっきも、何か引っかかることが。


「よーし、きーめたっ。貴明は一度ならず二度までも私の大事なところを覗いたから、許さないことにけってーい。みんなに言いふらしてやろ、貴明は私のことをおもちゃにしたエッチなやつですーって」


 そして、スタスタと坂を下りていってしまおうとする。


「ま、まって、謝るから、ゴメン、言いふらすだなんて」


 そんなことされでもして、珊瑚ちゃんにこのことが知られたら。ああ見えて珊瑚ちゃん、怒ると凄く怖いんだ。
 なんとなく釈然としない物を感じつつ、慌てて河野さんを追いかける。


「俺のできることだったら、何でもするから。だから、ちょっと、待ってー!」


「ほんとぅ?」


 満面の笑みを浮かべて、こちらを振り返る河野さん。
 やばい、やってしまった。


「そっかー、貴明、私のためになんっでも、やってくれるんだー。どーっしよーっかなーっ。何でもやってくれるって言うんだもん。ちょっとは、考えてあげないとねー」


 特大の地雷を踏んだ気分だ。きっと河野さんの中では、「俺のできること」って言う一文は、都合よく消されているに違いない。


「お、お手柔らかに、お願いします。河野さん」


「そう、それ!!」


 いきなり俺を指差す。


「その“河野さん”って言うの。じゃあまずは一つ目。私のことは“河野さん”じゃなくて“はるみ”って呼ぶこと。いい?」


「え、ええっと、はるみ、さん?」


「ちーがーうー。“さん”はいらないの。は・る・み。いい、はるみだからね」


 と言われても、いきなり女の子の名前を呼び捨てするのはなかなか抵抗が。


「ほーらっ、何でも、してくれるんでしょ。それともやっぱり、言いふらしたほうが」


「わ、わかりました、言います。言わせてください。はるみ。うん、は、る、み!」


 もうほとんどヤケで河野さんの名前を呼ぶ。
 でも、そんなことでも河野さんは嬉しかったのか。なんだか感激に体を震わせてるよ。


「うーん、まだまだ愛情が感じられないけど、今日のところはこれで許してあげる。じゃあ、次はね」


「次って、まだ何かあるのかよ」


「当然でしょ。貴明は私の言うことを何っでも、聞いてくれるんだから。一回だけなんて言ってなかったしね」


 首を傾げて、あれこれと考えている様子の河野さん。
 俺は、まだ日は暮れていないはずなのに、あたりがどんどん暗くなっていく錯覚に襲われる。


「よーし、決めた」


「な、なんでしょうか?」


「秘密」


「ひみつぅ!?」


「そう、秘密。やっぱり楽しみは後にとっておかないとね。貴明も楽しみでしょ」


 楽しみと言うか、死刑宣告が伸びたというか。まあ少なくとも、はらはらドキドキすることは間違いないな。


「ねえ、貴明」


「はいはい、なんでしょうはるみ」


 坂の途中、河野さんに名前を呼ばれて彼女のことを振り向く。
 そして、心臓を掴まれたような気持ちになった。
 夕暮れ時の、オレンジ色の日の光を浴びた彼女は、なんだかこう、言葉にはしずらいんだけど。


「あ、貴明もしかして、私を見てドキドキしてる? してるでしょ。いけないんだー、浮気しちゃって」


「う、浮気ってなんだよ」


 いや、たしかにこんな女の子と二人でいるところを見られたら、浮気じゃなくったって血を見るハメになりそうではあるけど。


「でも、私相手なら仕方がないっか。ねえねぇ、姉さんと私、どっちが美人だと思う?」


「姉さん?」


 俺が聞いても、はるみは答えてくれない。楽しそうな笑顔を、俺に向けてくれるだけだ。
 いつの間にかそばに寄ってきて、そっと、俺の胸に体を寄せてくる。


「私ね、こうやって貴明と一緒にいられるの、凄く楽しみにしていたんだよ。前みたいに、あんな小さい体じゃなくて。一人の女の子みたいに、貴明に抱きしめてもらえることが」


 はるみの肩に、俺が手を触れると。はるみは嬉しそうに体を預けてくれた。


「貴明」


 はるみの、そのきらきらと色の変わるビーズのような瞳に、どんどん体が吸い寄せられていく。
 心のどこかで、何かが必死になって警報を鳴らしているんだけど、体の方が場の雰囲気に完全にコントロールされてしまっている。
 もう、ちょっと。
 もう少しで、はるみのルージュでも引いたみたいなその唇と触れ合うことが


 ピーッ ピーッ ピーッ


 突然なり始める電子音。


「わっ、わわっ」


 もうちょっとで一線を越えそうになっていた俺の体が、それのお陰で我に返ってくれた。
 聞こえてくるのは河野さんのカバンの中。携帯電話が、勢いよくメール着信音を鳴らしている。


「姉さん・・・・・・せっかく良いところだったのに邪魔して」


 そのディスプレイを眺めて、河野さんは腹立たしそうに顔をゆがめる。
 本当に、危ないところだった。


「えっと、その、河野さん」


「違う、はるみ!」


「あ、ゴメン、はるみ。えっと、その」


 この場合、俺はなんと言えば良いんだろう? ゴメン、も変だし、惜しかったね、と言うのはもっと変だ。


「まあ、いっか。私もこんなその場の雰囲気でっていうのは嬉しくないし。やっぱりこういうのは、もっと大切にしなきゃね、貴明」


 どう答えるべきか。とりあえず、曖昧にうなずくくらいしか俺にはできなかった。


「いけない、時間になっちゃう」


 腕時計を見た河野さんが、突然そう叫ぶ。


「残念だけど、貴明、今日はここでお別れしなきゃ。それじゃあね、バイバイ、貴明。またあしたー」


「あ、うん。また明日、こう──じゃなかった。はるみ」


 俺が最後に彼女の名前を呼ぶと、河野さんは顔一杯の笑顔を浮かべて、こちらに手を振ってくれた。
 ちょうど来ていたバスに乗り込むと、そのまま乗っていってしまう。角を曲がって、俺の姿が見えなくなるまでずっと、俺のほうを向いて手を振ってくれていたんだけれど。
 一人残されて、俺は今のがなんだったのか、大いに頭を抱えることになる。


「河野さん、やっぱりどこかで会ってるのかなぁ」


 もうちょっとでキスまでするところだったくらいだ。
 頭をひねりながら、今、河野さんがバスに乗った、停留所の前まで来る。


「ああ!」


 思い出した。通りで会ったような気がするわけだ。
 春、ここの停留所で別れたあいつ。
 ロボットの癖に妙に愛嬌のあるやつで、乱暴者の割に憎めない。いっつも、俺の頭の上から離れようとしなかったあいつ。


「河野さん、雰囲気がクマ吉にそっくりだったんだ」


 喉に刺さった骨が取れたような気分だ。
 俺専用のメイドロボになるんだって言って、胸を3センチ大きくしようとして暴れたっていうあいつ。
 そういえば、クマ吉のやつ今どこで何やってんだろうな。
 ああ、そうだ。明日、河野さんに会ったらクマ吉のことを話してやろう。はるみそっくりのロボットに、前会ったことがあるって。
 ロボットと一緒にされて、河野さんは怒るだろうか。
 いや、なんとなくだけど。河野さん、凄く喜ぶんじゃないだろうか。
 そんな気がする。





   終