[うたわれるものSS]


 これは、彼がここに訪れる前のお話。


「予後は良好のようじゃの。これだったら明日からでも森に出ても良いじゃろ」


「本当かいトゥスクルさん!!」


「だが無理はするでないよ。怪我ぐらいならいくらでも治してやるが、死んでしまったのではどうしようもないからね」


「はい、いつものお薬です。お大事にしてくださいね」


「いつもすまねえな、恩に切るぜ」


 笑いながら男が家の外へと出て行く。その後姿を見送りながら、少女がほっ──と安堵の溜息をついた。


「でも、本当に治ってよかったねお婆ちゃん。あの人、一時なんて歩くことも難しかったのに」


「ほっ、ほっ。エルルゥ、お前の祖母を舐めるでないよ。あの程度の怪我なぞ、わしの手にかかればお茶の子さいさいじゃよ」


 そう言って、先ほどまで男の診察をしていた老婆は呵呵大笑する。


 そんな自分の祖母を、少女は頼もしそうに、そしてまぶしそうに見ながら微笑で応えた。


「うん、そうだね。あーあ、私も早く、お婆ちゃんのような一人前の薬師になれれば良いなぁ。そうすれば、もっとお婆ちゃんの手伝いだって」


「なに、焦ることは無いよ。エルルゥはこのわしの孫なんじゃからな。慌てなくてもちゃぁんと立派な薬師になれるさ」


 少女の頭の上に、祖母の節くれだった手のひらが被さってくる。少女がもっと幼かったころ自分の頭を撫でてくれた、父親や母親の手のひらとは違う感
触だったけれど、それでも嬉しそうに頷いて、そのむず痒いような、くすぐったいような感触に身を任せる。


「おば〜ちゃん」


 部屋の奥から、もう1人の少女が祖母の背中めがけて飛び込んできた。


「おねーちゃんだけずるい、アルルゥも」


 怒ったように言う孫に、祖母は相好を崩して少女と同じように、その子の頭を撫でてやる。


「しようがないのう、アルルゥは甘えん坊なんじゃから」


「こら、アルルゥ。そんなに走ったら危ないでしょ。転んで怪我をしたって知らないんだから」


「良いもん。アルルゥ怪我してもおばーちゃんに治してもらう」


「そうじゃの、アルルゥが怪我をしたならうーんと沁みる薬を使って治してやろうかの」


 う〜、とうなり声を上げて、意地の悪い笑みを浮かべる祖母を睨みつける。


「おば〜ちゃんのイジワル」


 そういいながらも、少女を撫でる祖母の手のひらは止まることはない。


「おばーちゃんの手、あったかい」


「もういいでしょアルルゥアルルゥがそこにいるとおばあちゃんの邪魔になるよ」


「やだ」


「わがまま言わないの。ほら、おばあちゃんから離れなさい」


「やだ。おば〜ちゃん」


 祖母から離れるどころか、まるでしがみつくように離れようとはしない妹。向きになって引き剥がそうとすればするほど、抱きつく腕に力を込めて抵抗
する。


「これこれ2人とも」


アルルゥ!」


「やだやだ、おねーちゃんのけちんぼ。けちんぼけちんぼ。おね〜ちゃんけちんぼだから、この間だって薬失敗する」


 その一言に、姉の表情が怒ったまま固まった。


「そ、それとこれとは関係ないでしょ!! それに私は失敗なんてしてないからね」


「うそ、おね〜ちゃんこの間、おやじに渡す薬間違えてた。おやじ薬飲んで悶絶してた」


「で、でたらめ言わないの!! あれはテオロさんが唐辛子の粉と薬を間違えて持っていったのが悪いんだから!」


 もう、けちだとかそんなことは関係なく、別のところで言い合いを始めてしまう。


「けちんぼけちんぼ、けちんぼおねーちゃん〜♪」


「こらアルルゥ、待ちなさーい!!」


 抱きつく祖母の懐から、まるで飛び跳ねるように逃げ出していく妹と、顔を真っ赤にして、それを追いかける姉。そしてドタバタと家の中をにぎやかに
走り回る2人を、愛しげに目を細めて見つめる祖母。


 いつもと変わらない、三人だけの家族の、平和なひと時。昨日も今日も、そしておそらく、明日もこのまま、この穏やかな時間は続いていくのだろう。


 薬の調合を始めようと腰を浮かせた老婆は、材料の納められている引き出しを覗いて渋い顔を作った。


「エルルゥ、エルルゥ」


「何? おばあちゃん」


 自分を呼ぶ声に、少女が妹を追いかけていった奥の部屋から顔を出す。


「すまないけれどさっきの薬で、いくつか材料を切らしてしまったようでねぇ。すまないけれど森まで行って取ってきてはくれないかい。わしが自分で行けば良いんじゃが、この後も患者がくるもんだからね」


「うん、いいよおばあちゃん。アルルゥアルルゥも一緒に行く?」


「ん、行く」


 妹と2人で、薬草を入れるための籠を持って表に出る。妹は姉と一緒に森に出かけられるのが嬉しいのか、うきうきと尻尾を振って先に家から出て行った。


「それじゃあおばあちゃん、行ってくるね」


「ああ、気を付けて行っておいで。最近は地震だなんだと何かと物騒だからね」


「わかった。気をつけて行ってくる」


 そして2人の後姿が見えなくなるまで、祖母は2つの後姿を見送り続けた。


「さて、エルルゥが帰ってくるまでに夕餉の支度くらいは終わらせておくかね」


 ・・・・・・これは、彼がこの家族と出会う前の、ありふれた日のお話。




   終